そろそろ4年生や修士課程2年生の卒業(修了)というゴールが見えてくる時期となった。大抵は1月ぐらいまでで授業終了で、その後、試験をやって、判定会議っていう段取りかな~。まあ、卒研の場合は試験というより卒論発表会と卒業論文の提出で終わりとなるけれど。
4年生の年末から1月ぐらいまでは、4月から12月までの9か月以上に相当するぐらい濃密な時間となる。わたしの研究室でも「今日は泊まります」と宣言する学生が多くなってきた。たぶん徹夜で実験、いや実験は教員が居ないとやっちゃいけないので卒業論文や修士論文の作成に勤しむのであろう。
卒論の添削は日本語の修正から始まる
しかし、会話ならまだしも書かせてみると最近のリケジョやリケダンの日本語が明らかにおかしい。まあ、日頃の会話でも何が言いたいのか分からないことが多いけど。
「この・・・は・・・であるから、それで・・・となって・・・、であるので、そして・・・となって、また・・・」(この文章はいつ終わるのでしょうか?結局何が言いたいかわからないのですが)
「なので・・・、なので・・・、なので・・・」(「なので」は接続詞ではないので、文頭では使いません。まあ、最近は普通に会話で使うし、文頭でもたまに見かけるようになってはきたのも事実だけど)
「研究の目的は・・・という目的である」(・・・)
実は、卒論の添削は日本語の修正から始まるのです。それも、一文一文「て・に・を・は」から。文章を読んでいると迷宮に這いこんでしまうので、その前に口頭で主語と述語と目的語や修飾語を聞き出して・・・。世間で流行りの「おかしな日本語」の本なんて目じゃないぐらい。結局、論文の内容の検討に入ることができるのは、かなり先なのです。たいてい、そういう学生に限って卒論の下書きを見せたがらない。締め切り直前に持ってきて私を寝不足にする。