「オラは一銭も出したくねえ」という点で本質的には同じ
ついでに言うと、わが国の財政危機の根っこにも同じ構図がある。村人は、自分が主権者であり、自分が国から受けるサービスのコストは自らが負担せねばならないというロジックがなかなか理解できない。その結果が1000兆円にも上る借金というわけだ。今でもたまに「増税は財務省の陰謀だ」と言っている痛い人を見かけるが、明治初期に血税一揆(※注1)をおこした農民とおつむの程度は一緒だろう。
余談だが、筆者は日本の右派=村に忠実な村人、左派=村に反抗的な村人だと思っていて、本質的にはどちらも同じような村人に過ぎないとみている。今回のような事件のたびに右は自己責任だと言い、左は官邸前に繰り出して政府批判に躍起になる。弱者に対して、右はやはり自己責任論を前面に出す一方、左も「大企業の内部留保を使え、増税断固反対!」とわけのわからないロジックを振り回し、結果的に小さな政府を志向する。「誰かなんとかしてやれ」という声が小さいか大きいかという違いはあれど、両者とも「オラは一銭も出したくねえ」という点で本質的には同じである。
最後に筆者自身のスタンスを述べておくと、筆者は他人の不幸に便乗して政府や企業の批判をするしか能のない連中が大嫌いであるが、社会の真ん中に「日本国民はかくかくしかじかであるべし」みたいな模範像があって、そこから一歩でも外れたら自己責任として叩かれるような社会も御免こうむりたいと考えている。(城繁幸)
【注1】血税一揆::明治6年(1873年)に布告された徴兵令の文中にあった「血税」という字を読み、農民が血をとられると勘違いしたことが一因とされる暴動。