前回に続いて今回も給与がらみのお話です。以前、給与、評価制度の設計でお手伝いした建築コンサルタント会社K社のT総務部長から突然、お悩み相談の電話をいただきました。
社長が来月から残業原則禁止を宣言したとかで、実質的にサービス残業が横行することになりかねないし、人材流出も懸念されると。どうしたらいいものかと尋ねつつ、社長を説得してくださいオーラを受話器越しに強く感じる懇願電話でありました。
別のスタッフに仕事のアシストを出すと同時に、評価が下げられる
同社の残業原則禁止というのは、個々人が担当する設計仕事について、会社が残業なしで仕上げるべき締め切り日を決め、担当が残業なしでは間に合わないと判断し残業を申し出た段階で、別のスタッフまたは管理者に仕事のアシストを出すと同時に評価が下げられるというもの。もちろんリミットを優先するあまり、手抜きやミスが多い仕事をした場合も即座に評価に反映されるのだと。社長は、随分と厳しい制度を考えたものです。
すぐさまN社長に電話を入れ、仕事で近くに行くので立ち寄りたいと申し出て訪問しました。それとなく最近の社内状況に水を向けると、さすがに残業禁止令がホットテーマである様子で、立て板に水と言った様子でそれを発案した経緯を話してくれました。
「ここ1年間の残業実態を見て見たら、ほとんど残業をしない者、基本的に毎月かなりの残業をする者、二極化していて傾向がはっきり見えたのですよ。『残業をしていない者』の大半は評価が高く仕事ができる者であり、『残業があたり前になっている者』はたいてい仕事が遅く評価が低い者だったわけです。仕事が遅く評価が低い者が残業代をたくさんもらって、仕事が早く評価の高い『残業代なしの者』よりも給与の手取り金額が多くなっているのです。これはどう考えてもおかしい」
先日のT部長の話も加味すると、社長が問題視する社員は残業代を見込んで生活設計を立てている風が見受けられ、実は社長はそのあたりが一番、腹に据えかねているようなのです。
残業をしてない人たちからも「不安の声」
適正残業と残業手当の問題というものは、実に厄介です。はじめから勝手に残業時間込みで自分の1日の所定勤務時間を決めて平然と残業代込みの給与を「生活給」として手にする社員と、不要な残業をなんとしてもさせるものかと意気込む社長。表向きは社員が一方的に悪いようにも思えますが、残業禁止令という強引なやり方で進めてしまっていいものかどうかは、実は悩ましい問題なのです。
現実にK社でも、部長によれば社長の残業禁止令に対する社員の反応はおしなべて芳しくないそうで、残業をしてない人たちからも「生活にかかわる給与の制度を、いきなり会社都合で変えられてはこの先も何が起きるか不安だ」という声も聞こえているのだとか。
人事や給与に関する事柄は、社員からすれば生活直結のものすごくセンシティブな問題であるだけに、重要度、関心度とも非常に高いのです。これに関する強引、性急なやり方が社内のムードを悪くして離職を促進することになり、苦境に陥った企業も複数見てきています。それだけに、仮に社員側に行き過ぎた運用や間違った理解があったとしても、ここは慎重に事を運びたいところなのです。
私は、残業込みの給与体系への変更で残業の上限を抑え様子を見るやり方もありますよと、N社長に代替案を進言したのですが、とにかく「不要な残業代は払いたくない」「ほとんど残業をしない者にまで残業代を支払うことになるのは嫌だ」ということで却下。
逆に社長は、「無駄な残業をしている連中を管理職に昇格させて、管理職手当の最低額を支給することで残業を取り上げるのはどうか」などと言い出す始末。もちろんこれは「名ばかり管理職」の発令によるサービス残業の強制になりかねませんから、完全アウト。認めるわけにはいきません。
経営と社員の溝を深くするリスク
とりあえずT部長も呼んで、3人で善後策を話し合うことにしました。部長からは、少し大げさに残業禁止令に対する先の社員の反応なども伝えてもらいました。
結論としては、
(1)残業代は「生活給」ではない。「残業」はやむを得ない場合に限りおこなうものという考え方の原則を、社長から話して今一度徹底をはかる。
(2)現実に残業なしで仕事をこなしている社員もいることを踏まえ、全員が原則「残業なし」を共通目標として担当業務に取り組む。
(3)2~3月の2か月間で(1)(2)の浸透ぶりを見ながら、新年度からの残業対応の方針を再検討する。
ということになり、とりあえず性急すぎる制度改定は一旦回避しました。
繰り返しますが、人事、給与の問題はいかなる事情があろうとも、会社側の主張だけで性急に制度を変更してしまうのは、会社全体のモチベーションを下げ経営と社員の溝を深くするリスクが伴います。N社長がこの先2か月で、いかなる結論を出すのはまだ分かりませんが、社員の視点を無視した強引なやり方だけは変更できたので、最悪の事態は避けられたと思います。(大関暁夫)