大学名差別重視だからこその内定者拘束も
2010年代現代と1980年代での就活で大きく異なるのはもう1点、それは大学名差別です。
今なお、あれこれ言われる大学名差別ですが、1980年代当時はもっと強烈でした。
大手企業からすれば、大学ブランドを強く見ていたのです。そのあたりの事情を見るために先ほどの『労務事情』の記事に戻るとこんなエピソードが描かれています。内定者が足りない採用担当者に対して筆者か誰かが学生を紹介するのですが...。
「家庭の事情で就職活動のスタートが遅れてしまい、困っている千葉大生がいます。非常に優秀な学生です」
「ダメだ。欲しいのは早稲田の商学部なんだ。政経でも法でも、慶應でもない。早稲田の商学部だ。誰かいませんか?」
千葉大で優秀ならいいじゃないか、というのは現代の価値観です。記事では「そんな会話が当たり前のようにかわされていたほどである」と締めくくられています。当時は千葉大で優秀でも、慶応でも早稲田の他学部でもダメ。採用担当者が「早稲田の商学部」と言ったらそこ限定。それくらいこだわるのであれば、確かに内定者拘束も必要だったのでしょう。