内定者拘束は「通過儀礼」の意味もあり?
『労務事情』2003年7月1日号「内定模様の推移を読み解く 価値を失った『拘束』」には当時の内定者拘束について、「入社を受け入れさせる重要な機会」「学生から社会人に至る通過儀礼」と定義しています。
「学生は、選考も含めて拘束されることで、起業と密接なかかわりをもつことになる。四六時中、さまざまな社員と行動を共にしながら、『ここで一生働くことになる』という現実を受容していったわけだ」
「思い返すと、学生にとって内定者拘束は『大人として遇された初めての経験』だったようだ」
「『フルコースでワインを飲むタイミングがわからず、がぶ飲みして泥酔した』など、エピソードには事欠かない。オトナとしてのもてなしを受け、『仕事』を語る。そこで『自分は就職する』という自覚を育むきっかけを得た学生も少なくないのではないか」(※いずれも記事より抜粋)
「フルコース」というのがいかにもバブル時代ですが、就活期間の短さを考えれば、「通過儀礼」との定義も納得できます。
会社からすれば、内定者拘束で学生が社会人に近づくきっかけとなれば、フルコースだのしゃぶしゃぶだのにかかる費用など安いものです。