今回は、娘の人生をコントロールしようとする、過干渉な母親から「自立」した、ある女性のお話です。Tさん(29歳)は、現在、ある地方都市の高校で、非常勤講師をしています。彼女の母親は、学生時代から常に「過保護」でした。母親は、公務員として働きながら、一生懸命、娘を育ててくれたといいます。が、中学生の頃から、徹底した『監視』がスタートしたのです。
「学校についたら電話しなさいね」
「うちの母親は心配性。もともと真面目で良い子だった私が、学校をサボったり、学校帰りに繁華街へ出かけるようになったりしたのがきっかけで、『何が何でも、娘を監視しないと不安』って感じになっていった」(Tさん)。
Tさんは、小3から塾に通い、母親の言うとおりに中学受験をし、「将来は母親と同じように、公務員か教員になろう」と考えていました。が、誰でも、思春期には親への反抗心が芽生え、友人との関係を重視するようになるものです。Tさんの場合も、中学2年の頃から、派手な「ギャル」のグループと付き合うようになりました。友達の紹介で、年上の彼氏もできたといいます。
心配した母親は、毎日、1時間おき(!)に携帯を鳴らし、彼女の居場所を確認しようとします。Tさんは、そんな母親への反抗心を強め、母親から逃れようと、夜遅くまで出かけたり、出会い系サイトで遊び相手を見つけたりするようになりました。母親の不安はどんどん大きくなり、ますます監視を強め、そのことがますます、Tさんの反抗心を強める......という、悪循環が始まったのです。
娘の交友関係(特に、異性との関係)が心配だった母親にとって、携帯電話は唯一、娘をコントロールする手段だったのでしょう。都内の女子大に通い始めてからも、大学に着いたら母親に電話、休み時間にも電話、帰宅する前にも電話をすることが義務付けられました。