内定学生さまに「300万円の車」プレゼント 「お好きな牛をどうぞ」の会社も

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   まずは言葉遊びから。

「地方 学生 東京で 就活 30万円」

   この5つのキーワードに言葉を補って文章を完成させてください。

   おそらく、地方の就活生に振れば次のような文章がすぐできるはず。

「地方の学生が東京で就活すると30万円かかった」

   交通費だの、ホテル代だの数か月間動き回っていれば確かにそれぐらいかかってしまいます。

就活したら30万円儲かった?

内定プレゼントは・・・ウシ?牛??
内定プレゼントは・・・ウシ?牛??

   では30年前の1980年代ではどうでしょうか?

「地方の学生が東京で就活すると30万円浮いた」

   費用がかかるどころか、逆に学生が30万円儲かる?就活で?今の就活学生には理解不能でしょう。

   というわけで今回のテーマは「バブル時代の就活・採用」。先にお断りしておきますが、就活学生はかなりムカムカすること請け合いですのでご注意を。

内定学生には300万円の車プレゼントもしていた!

   1990年に刊行された人事担当者向けマニュアル本『採用内定者管理の進め方』(知念実、ぱる出版)には、当時の就活が学生にとっていかに有利だったか、その事情が赤裸々に描かれています。

   現代の採用担当者向けであれば、内定者というテーマなら内定者の研修をどう進めるか、というのが大きな問題でしょう。もちろん、内定辞退も大きなテーマではありますが、あれこれ大盤振る舞いしてまで引き留める社はそうそうないはず。

   ところが、同書にはその名も「採用内定者に対してプレゼント作戦でフォローする」という章があります。

   ざっと列記すると、背広(できるだけ有名ブランドにして、父兄にも仕立券をプレゼントする)、ローン(社宅購入資金、高級車など)、学費援助などが並び、車(300万円相当)も登場。

   300万円の車というのは、このマニュアル本以外にも、当時の就活学生がほぼ全員読んでいた『就職ジャーナル』(リクルート)1989年12月号にも登場しています。夏目房之介さんのコラム「社会の窓」で「89就職戦線」と題した回では、冒頭にこの車プレゼントが出てきます。

   何でもトヨタクレスタ級の車、300万円相当、採用枠は5人までとあります。実施したのは大阪の中小企業。なお、同社は現存し、1989年時点から社員数はほぼ倍増の190人。新卒採用も継続していますが、車プレゼントなど、今ではどこにも書いていないことは言うまでもありません。

内定学生の親に牛プレゼント、牛舎改修のオプション付き

   採用マニュアル本の「プレゼント」に戻ると、さらに目立つのが「牛や馬」。

   「牛や馬」は地方出身者の親に対してで「(親/飼い主に)見てもらって、気にいったもの」「牛舎等がなければこれも新築または改修してあげる」。

   そうだよね、やっぱり気にいったものを選ばせてくれないと。

「あの会社の採用の人さ、好きなの選ばせてくれただ。すかも、牛舎も改修してくれてよ。その後もときどき様子見さ来でくれて、いい会社だあ」(注記:方言表記は架空のいい加減なものです)

   こうして、牛プレゼントの会社は大きくなりましたとさ、めでたしめでたし...。いや、どう考えてもバブル崩壊後、経営環境は一変したとしか思えません。

選考・説明会参加だけで交通費・宿泊費支給

   内定者に対して車だの牛だのをプレゼントするくらいですから、選考参加学生もいい思いをしていました。

   何しろ、選考はもちろんのこと、説明会でも参加すれば交通費が支給され、地方出身者には宿泊費まで支給されていたのです。

   『就職ジャーナル』1990年12月号の夏目房之介さんコラム「社会の窓 90就職戦線」には、首都圏の学生(明治大?)とおぼしき学生の例が出ています。本命だったスーパーの本社にはセミナー、面接2回、誓約書提出の4回訪問。もらった交通費は合計3万5000円。それに誓約書提出後、「若手社員が赤坂のクラブに連れていってくれた」。

   しかも、本命企業以外にもセミナーにちょこちょこ出ていたらしく、「交通費などの収入は計約15万円」。セミナー・選考を何社か掛け持ちで出ていれば、それくらいは浮くでしょう。そして地方学生に対してはホテルを用意する社、宿泊費を支給する社も相当数ありました。中には往復の交通費も。30万円どころか50万円以上、「儲かった」学生がいても不思議ではなかったのです。

内定者の拘束、海外?山奥?

   バブル時代にちょこちょこ登場するのが内定者拘束です。これは就活解禁日前(あるいはさらにその前から)に内定を出した企業が他社の選考に参加できないような状態にすることです。定番は那須、長野などの保養所に連れていく、ディズニーランドに連れていく、など。

   新聞でも1980年には登場しています(読売新聞1980年10月29日付)。中には内定者拘束よりも卒業旅行で海外に行けば、と無担保で最高50万円まで貸し出した銀行も(朝日新聞1988年2月18日付)。「印鑑1つでOK」だったこの銀行は足利銀行で、この制度が元だったかどうかは不明ですが、2003年には経営破たんし、一時国有化されました(2008年に特別危機管理の終了)。

   内定者拘束に戻すと当時の採用マニュアル本にも内定者拘束について「ソフト」「ハード」と2章に分けて指南しています。

   「ハード」では「海上フォロー」と称するのは要するに船旅。この本で登場する「フォロー」、どうも内定者に逃げられないようにする、くらいの意味で今とちょっと使い方が違います。

   バスツアーの項目では「内定者を極力バスに乗車させたまま、しかものろのろとしたスピードで、あてもなく連れ出す方法に特徴がある」「就職戦線のピーク時期が終盤を迎えるまでは帰してはならない」。と言っても、学生は学生で飽きてしまうはず。そのための「フォロー」としては、

「美人のコンパニオンを同乗させて、車内での接客サービスに気配りを示そう。飲みものも単にビールだけでなく、世界の名酒を積み込んで、味わってもらう。こうした豪華版が内定者に受ける」

   原稿を書いているこちらまでムカッとしてきましたが、では、なぜこうした内定者拘束が盛んとなったのか、その理由は次回に続きます。(石渡嶺司)

石渡嶺司(いしわたり・れいじ)
1975年生まれ。東洋大学社会学部卒業。2003年からライター・大学ジャーナリストとして活動、現在に至る。大学のオープンキャンパスには「高校の進路の関係者」、就職・採用関連では「報道関係者」と言い張り出没、小ネタを拾うのが趣味兼仕事。主な著書に『就活のバカヤロー』『就活のコノヤロー』(光文社)、『300円就活 面接編』(角川書店)など多数。
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