内定者の拘束、海外?山奥?
バブル時代にちょこちょこ登場するのが内定者拘束です。これは就活解禁日前(あるいはさらにその前から)に内定を出した企業が他社の選考に参加できないような状態にすることです。定番は那須、長野などの保養所に連れていく、ディズニーランドに連れていく、など。
新聞でも1980年には登場しています(読売新聞1980年10月29日付)。中には内定者拘束よりも卒業旅行で海外に行けば、と無担保で最高50万円まで貸し出した銀行も(朝日新聞1988年2月18日付)。「印鑑1つでOK」だったこの銀行は足利銀行で、この制度が元だったかどうかは不明ですが、2003年には経営破たんし、一時国有化されました(2008年に特別危機管理の終了)。
内定者拘束に戻すと当時の採用マニュアル本にも内定者拘束について「ソフト」「ハード」と2章に分けて指南しています。
「ハード」では「海上フォロー」と称するのは要するに船旅。この本で登場する「フォロー」、どうも内定者に逃げられないようにする、くらいの意味で今とちょっと使い方が違います。
バスツアーの項目では「内定者を極力バスに乗車させたまま、しかものろのろとしたスピードで、あてもなく連れ出す方法に特徴がある」「就職戦線のピーク時期が終盤を迎えるまでは帰してはならない」。と言っても、学生は学生で飽きてしまうはず。そのための「フォロー」としては、
「美人のコンパニオンを同乗させて、車内での接客サービスに気配りを示そう。飲みものも単にビールだけでなく、世界の名酒を積み込んで、味わってもらう。こうした豪華版が内定者に受ける」
原稿を書いているこちらまでムカッとしてきましたが、では、なぜこうした内定者拘束が盛んとなったのか、その理由は次回に続きます。(石渡嶺司)