双方に不幸な行き違い
でも、彼は留学やその後の海外での仕事を通じて、もう一つの世界を知ってしまった。それは、運命共同体など存在せず、個人と組織が契約によって結びついた流動的な世界だ。共同体ではないのだから組織は個人を守らないし、大事に育ててもくれない。だが、優秀であれば、他の従業員の何百倍もの報酬を払うし、起業やストックオプションなどの制度も充実している。
「アメリカなら自分はきっと何十億円も稼げたはずなのに」
これが、氏の怒りの本質だろう。筆者自身はそれを強欲とは思わない。優秀者が多額の報酬を受け取るのは当然の権利であり、その機会を奪われた人間が侮辱と感じるのは自然なことだからだ。
ただ、徳島の無名の若者だった氏を育てたのは、あくまでも日亜化学という運命共同体であり、そこに属したからこそ、氏は今の高みに到達出来たように筆者は思う。ちなみに、日亜は中村氏の在籍中、年収2000万円近い役員待遇を提供している。氏が最初からアメリカで活動し同じほどに成功した場合の利益よりははるかに少ないかもしれないものの、一つの共同体としては精いっぱいのもてなしだったのではないか。
というわけで、筆者は日亜をケチとも、中村氏を強欲すぎるとも思わない。ただ、曖昧さの多分に残る共同体システムを通じて、双方に不幸な行き違いが生じてしまったというのが筆者の見方だ。