STAP細胞騒動で渦中の人、理化学研究所の笹井芳樹氏が自殺した一件が世間の注目を集めました。このニュースを耳にして、私は銀行時代に取引先の社長から聞いたある話を思い出しました。
大手電機メーカーの下請企業S社の創業社長Oさんが、70歳を機に約40年務めた社長の座をご子息に譲り実質引退を決められた折に、二人で飲む機会をいただいたのでした。飲むほどに多少の酔いも手伝って、長年の社長生活の中で絶対に忘れられない話がある、と社長がポツリポツリと語り始めたのです。
倒産の危機に直面
それはO社長がまだ40代前半の頃の事、製造ラインで重大な事故が起きました。金型の破損に気づかずに部品製造を続け、納入先の大手電機メーカーから大きなクレームが入りました。悪いことに、メーカーも製品化した段階までS社から仕入れた部品の不良に気がつかず大量の不良製品が発生し、発注停止はおろか損害賠償として不良在庫の償却負担をしなければ訴訟を起こすと言う事態にまで発展してしまったのです。
会社としては損害賠償となれば億単位の負担になることが容易に想像され、考えもしなかった倒産の危機に直面することに。まさしく青天の霹靂です。事態の深刻さが増す中、社長も現場責任者のT工場長もこれといった打開策がないまま、ただひたすらお詫び行脚に明け暮れて思い悩みふさぎ込む日々が続きました。そして発注再開のめどもなく損害賠償を迫られる中で、最悪の事態を迎えます。ミスの責任を感じ思い悩んだT工場長が自殺をしてしまったのです。
工場は東北地方にあり日々目が届かなかったことで、社長は工場長の変調に気づけなかった自分を悔いました。何度となく足を運んだメーカーへのお詫び行脚では罵倒や嘲笑の扱いを受け、一方不良事故以来工場の稼働はストップして多くの現場従業員が自宅待機となる中、閑散とした工場の光景がT工場長の病んだ心に追い打ちをかけ精神的に追い込まれてしまったようでした。