前回のエントリで、「社員の健康管理は会社の責任」と断言してそれを実行していたM社のT社長を紹介しました。彼に関しては、もうひとつお聞かせしたいエピソードがあります。
前回にも登場した4年前にガンで亡くなられたI経理部長のお話です。I部長が通院しながら働いていたある日の事、社長が突然怒りの大声をあげて管理を任せていた3人の部長を呼びつけました。
「もうやめだ、やめ!会社は買ってくれるところに売る」
社長のオーダーであるコスト管理見直しに関する調査レポートが、総務部の担当者からあげられました。ところがそのレポートは完全にポイントを外しているばかりか、調べられたデータ自体に信憑性がなく、ほとんど役に立たないものだったのです。そのレポートには主幹部であるM総務部長の検印はもとより、関連部としてK企画部長、そしてI経理部長の検印も押されていました。
社長の怒りは担当者の仕事ぶりに対するものではなく、それを監督・指導する立場にあるはずの部長たちが揃いも揃って社長が指示した調査の趣旨すら理解せず、レポートに事務的に検印だけを押して社長席に提出して来たことにありました。
社長は3人を前に怒鳴りつけました。
「これは一体どういう仕事だ。調査目的を十分理解しようともしない。それが会社を支える部長の仕事なのか。君らは会社をつぶす気か。会社のことを思っているのは結局私だけだということがよく分かった。こんなことじゃ、持病の心臓疾患にも本当によくない。今も動悸がひどくて薬を飲んだ。会社を思わない君らに殺されるのはまっぴら御免だ!」
そして勢い余って、とどめの一言を言い放ちます。
「もうやめだ、やめ!会社は買ってくれるところに売る。いくらでも買ってくれる先はある。買った企業はきっと、こんな仕事ぶりの君たちをいらないと思うだろう。君らは自分たちの甘さを思い知らされることになる。それが嫌なら、3人で借金してでも会社を買い取って続ければいい。喜んで売ってやるさ。ただ君らが買えば、会社は間違いなくつぶれる。どちらを選ぶのか3人で話し合って明日返事しろ!とにかく、私はもう降りた!」
社内には重たい静寂の時が流れました。
1時間ほどして、I部長が一人で再び社長室のドアを叩きました。
「社長にお話があります」
神妙な面持ちでI部長は話し始めました。
「今回の件は本当に申し訳ないと思っています。社長の健康を害するようなことがあったとしたら、それはお詫びのしようがありません。私は…」
言葉を詰まらせながら、その先を話すことを躊躇したかのようにしばし沈黙が続きました。
かけがえのない会社を大切に。かけがえのない仲間を大切に…
次の瞬間、突然I部長は大粒の涙をこぼしながら、絞り出すように続けました。
「社長、私をこれまで雇っていただいて本当にありがとうございます。社長もご存じのとおり、私は今医師から長くて余命2年と言われており、それなりの覚悟もできています。残された日々の中でしたいことはと問われてもこれと言って思いつくものはなく、思い返してみれば1日の半分以上を、いや人生の大半を過ごしてきた会社でただただこれまで通りに可能な限り働きたい、T社長の下でお力になれる限り頑張りたいと思うだけです」
T社長は話に聞き入り、無言で部長をみつめました。I部長は涙声で続けます。
「自分にとっての会社の大切さ、存在の大きさが、今の私には本当に身にしみて分かったのです。本当に大切でかけがえのない、この会社、この仲間、この仕事…。皆もよくよく考えてくれるなら、きっと同じ思いになるはずです。今社長がこの会社を見捨ててしまったら、そんな僕らはどうしたらいいのですか。会社をやめにするとか、売るとか、そんな悲しいことを言わないでください。お願いです社長、それだけは撤回してください。二度と言わないでください…」
社長にも思わず熱いものがこみあげました。そしてI部長の手をとってこう言いました。
「君の気持も知らずに申し訳なかった。本当にごめんなさい。そして、そこまで会社のことを思ってくれてありがとう。君の気持ち、思いはしっかりと受け止めさせてもらったよ。経営者として未熟で申し訳ない。素直な気持ちを伝えてくれて本当にありがとう」
もちろんT社長は会社を売ろうと本気で思ったわけではないのですが、冗談にでも経営者が社員に対して言っちゃいけない一言があるということを鬼気迫る物言いのI部長に教えられた、と私に壊述してくれました。
「会社のことを本当に思っているのは自分だけだなんていうのは、経営者の思い上がり。社員には社員の会社に対する思いがある。それに気づいてあげつつ大切にしなくてはいけないと、気づかせてもらいました。本当に感謝しています」
I部長が亡くなられて4年。Y社社内には社長の発案で、部長個人名でこんな標語が掲げられています。
かけがえのない会社を大切に。かけがえのない仲間を大切に。かけがえのない仕事を大切に― I。(大関暁夫)