弱者からすればたまったものではない
むしろ、当コラムでも触れたことがあるように、彼らリベラルは貧乏人を量産しようとさえしてるんじゃないかと筆者は感じることもある。確かに貧乏人を増やすことはリベラル政党から見れば合理的なのかもしれないが、弱者からすればたまったものではない。「今の左翼はうさん臭くて信用できない」と感じるセンスは、筆者は人として正しいと思う。
自由競争すれば社会は活性化するかもしれないが、自分は生き残れそうにない。でも、リベラルは反日活動や高齢者向けのバラマキにしか関心がなく、自分たちのことは眼中にない。自分たちは一体どうすればいいのか……
そんな彼らに優しく微笑みかけてくれるのが、本屋で平積みになっている『保守本』である。
「努力しなくてもあなたは日本人というだけで世界に誇れる素晴らしい人間です。規制緩和なんてしなくても政府がいっぱいばらまけば豊かになれます。国の借金は国民の資産!」
こうして、誰からも相手にされない可哀想な人たちから小銭を巻き上げているのが昨今の保守本の本質であり、「家内安全」のお札を売りつけてみんなで『ええじゃないか』を踊っているようなものだというのが筆者の見方だ。
だからこそ、彼らは永遠にそこまでの存在に過ぎない。ネットや本屋の店先やワイドショーでワーワーやる分には許容されるが、政策として実行責任の伴う表舞台で「ええじゃないか♪」を踊るのは不可能だからだ。