国家間の対立では歴史認識等の解消が困難な『障害』が厳然とあったりします。日本だけでなく世界的に対立の火種の大半は、何百年にもおよぶ思想や領土における障害が山積。そんな障害をについて「抜本的な解決方法とは?」と論じる評論家がいます。が、抜本的な方法などない、「棚上げ」くらいが妥当としか思えないケースが大半ではないでしょうか?
障害とは、それだけ面倒なものなのです。
「パソコンと山のように積まれた資料の障害」をそのままにして…
さて、職場に目をうつせば、「簡単に」取り除ける障害を取り除かない人がいます。具体的には対話=コミュニケーションの障害。具体的に対話のときにお互いを遮る障害物があると、対話自体の障害になりませんか?例えば、あなたが職場の先輩として後輩の相談を聞いたとき、
「じゃ、聞かせてくれる?」
と耳を傾けながら集中出来ないことがありませんか?そんなとき、机の上にあるパソコンと山のように積まれた資料の障害があるのに、
『時間がないから、障害なんて気にしない』
と手を抜いてしまったのです。これは対話する環境としては不適切。その反省から、別の機会で
「ちょっと待ってくれる。机の上を片すから」
と、そのままメンバーに待機してもらいパソコンを閉じて、資料を一旦、隣の机に移動してみました。するとお互いの間に何も障害が無い状態になり、その後の対話を順調に対処することができました。後日、後輩から
「やはり、目の前を遮るものがあると気になっていました」
と本音を聞かされました。
目も合わせず作業しながら話を聞く
さて、社内だから…と対話する環境の劣悪さを「当たり前」と誤解していませんか?あるいは、目も合わせず作業しながら話を聞くなんてことをしてはいませんか?そんな態度で人の心を開くことはできません。話したかったことを半分も話す前に諦めてしまうに違いありません。加えて、あなたに対する信頼は一気に萎えていくことになるかもしれません。些細なことのようで、対話のための気配りは人物評価にまでつながる可能性があります。身内だからと面倒がらずに遮断する障害物があれば削除するべき。
さらに、障害物で相手の表情や身振り手振りがみえないことが対話の意図を大幅に妨げることを覚えておいてください。そのヒントはメラビアンの法則にあります。この法則は米国の心理学者、アルバート・メラビアンが提唱した概念。
余談ですが、この法則の一部がひとり歩きをして「人は見た目が一番重要」とか「喋り方のテクニックが重要」という解釈が有名になったとも言われています。この法則をあえて、参考として伝えたいこと、それは、
『対話で相手が得る情報の半数以上が視覚情報』
ということ。言語情報なんて1割に足りません。とすれば、背を向けて表情がみえないとか、うなずく姿勢が物陰に隠れて微妙な状態…なんて、もったいないとしか言えません。(高城幸司)