「不正をさせてしまった」責任
個人の問題と組織の問題という視点は、あらゆる不祥事にあてはまる。例えば、先日NHKが放送したイギリスBBCの共同制作番組「Brakeless ブレーキなき社会 ~JR福知山線脱線事故9年~」の中で、最愛の家族を奪われたご遺族が語っていた言葉は、それを痛感させる。
「あの運転士が、あの曲線に、なぜあの速度で入ったのか。それを解明しない限り、JR西の会社としての安全問題は、なかなか見通せない」
「事故を起こした運転士は、ぼくは、事故当時は『こいつ!』と思うとったんやけど、よくよく考えると、半分はこいつのせいやけど、半分はこいつも被害者。ホント、先が明るく、これからJRという会社で一生懸命やっていこうとしてた青年なんですよね」
電車の運転と旅行代理店の営業とでは仕事の内容が全く違うし、筆者は両社の内情を詳しく知る立場にはない。しかし、運転ミス(オーバーラン)による遅れを取り戻そうと異常なスピードでカーブに突っ込んだJR西日本の運転士(故人)と、バスの手配ミスを隠そうと自殺をほのめかす手紙をでっち上げた旅行代理店社員の心理には、あらゆる組織が教訓とすべき何らかの共通点が見いだせるのではないだろうか。
いかなる理由があろうとも、不正を犯した本人が一番悪い。しかし同時に、会社(上司)は、従業員(部下)に「不正をさせてしまった」責任を重く受け止め、マネジメントのあり方を問い直さなければならない。(甘粕潔)