先週投稿した、
「『かわいそうなカンボジア人』は、もうやめよう 『地雷と学校作り』からの卒業」
に関して、多くの方から共感をいただきましたが、一部の方には理解しにくい内容だったようなので、もう少し掘り下げてみます。
2014年現在のカンボジア・プノンペンは「かわいそう」という状況を卒業しているので、新たな協力の仕方を考えよう。というのが本稿でお伝えしたいメッセージでした。これは「かわいそう」を否定することではありません。
今のプノンペンに必要なのは、彼らが活躍する場所
例えば、津波で家屋をなくした人や、学校が全くなく教育の機会がない地域に住んでいる人たちに対してやるべきなのが「かわいそう」型の支援です。
彼らは今まさに困っており、何か見返りを渡す力もありません。まずは「かわいそう」という感情から無償で全てを提供して、現状を打破することが第一優先なわけです。
ただ、ずっと無償で全てを提供していても「もらうことが当たり前」の状況になってしまい、人は育ちません。そして、その状況の人は援助が終わると同時に、何も出来ない人になってしまいます。
ある程度成長した人たちに必要なものは、彼らが活躍する場所です。人間は学んだことを実際に使うことでさらに成長します。そして、成長して成果を出すことで自分に自信をもち、幸せを感じます。
カンボジアで日本人が作ってくれた学校で学んだ子供達のなかで、優秀な人たちは王立プノンペン大学などに進学し専門知識を身につけます。そんな人たちが多く現れた2014年のプノンペンに必要なのは、彼らが活躍する場所、日の目を見る場所なのです。
そして、資本金やビジネスのノウハウがある先進国のビジネスパーソンは、その場所を作るのが得意です。さらに、その優秀な人材を使い利益を出すこともできるので、ビジネスとしても実に有望です。
その都市の現状にあわせて、最適なものを作れば、現地の人も、自分の会社も幸せにすることができるのです。