引き続き、カンボジアで起業体験プログラム「サムライカレープロジェクト」を運営しています。
数週間単位でプノンペンでカレー屋を営業しながら生活していると、気付くことがあります。カンボジア人が楽しそうに暮らしているということです。
「無償提供」は産業を育てない
カンボジアといえば、報道では「地雷を踏んだらサヨウナラ」ばかりがニュースになり、バラエティー(と企業の広報活動)では「貧しい子供達のために学校を作ろう!」が花盛りです。
こういった「かわいそう」を売りに日本では報道されてきたため、多くの日本人は「カンボジア人はかわいそうな人たち」と思っているかもしれません。しかし、2014年のプノンペンを現地で感じていると「かわいそう」をあまり感じません。
サムライガールズ(カレー屋で雇っているバイトの女の子たち。日本語ペラペラ)は、大学行きながらバイトでサムライカレーへ来て、きゃいきゃい言いながらカレー作ってるし、ふらりとお店に立ち寄ってくれるカンボジア人の家族は楽しそうにカレーを食べています。
「かわいそう」を売りにすると、その地を訪れる人は「無償で何かを提供する」ということしかしてくれません。しかし、それでは、新しい産業が育ちません。
例えば「かわいそう」な国に古着をプレゼントしよう!ということで、大量の古着が送りつけられたことで、人々は喜んだのですが、その近辺の服飾工場や洋服屋、綿花産業までが大きな被害を受けたなんて「かわいそう」なことが起こっています。
「かわいそう」という感情から行われる慈善事業は、長期的に、もっと「かわいそう」な状況をうみ出しかねないのです。
稼げて活躍できる場を
どこの国にもある程度賢い人達がいます。この国にも、カンボジア最高学府のプノンペン王立大学とかにそんな人材は集まっています。しかし、現状のカンボジアにはそんな高度教育を受けた人材でも、就ける職が限られています。例えば、大学でITを学んだ人たちが現地のIT企業に入っても、ほとんどの仕事はPCを買ってきて、ネットに繋いであげる仕事くらいしかないんです。本格的なシステムを構築するような仕事は、インドやタイなどに外注されてしまい、優秀な人材がその才能を発揮してお金を稼ぐ場がないのです。
「かわいそう」なカンボジア人のため学校を作る事も大切なんですが、それ以上に大切なのは、優秀なカンボジア人が活躍する場所をつくることです。そのためには、援助じゃなく、「稼げる」事業を興して、そこで優秀なカンボジア人に活躍してもらい、彼らを「稼げる」人材にすることです。
「稼げる」人材が増えることで、カンボジアと言う国が本当に豊かになっていくのですから。
「かわいそう」は人々の感情に直接訴えかけるので視聴率はとりやすく、本も売れやすいです。そして「稼ぐが勝ち」というと拒否反応を起こす人もたくさんいます。
しかし、現地の人が本当に求めているのはなにか?ということを考えると、その国の経済状況によって必要なものは変わっています。
私がプノンペンで生活していて心から思う事は「プノンペンは、『かわいそう』を卒業する時期に来ている」ということです。(森山たつを)
カンボジアの「今」を知ることができる、インターン型研修プログラム サムライカレープロジェクトのWebページは、こちら。