私が銀行員時代に、某地方都市で仕事をしていたときのお話です。地方都市にありがちなのは地元企業の社長と飲み屋のママとの噂話。大手メーカーの下請けを専業とする取引先企業C社の部長が耳にしたのも、自社社長のそんな噂でした。
部長がその噂に信ぴょう性ありとしたのは、ほとんど酒を飲まない社長が週に1~2回はその店に通っているという点からでした。
「地方都市ですから噂はすぐに広がります」
「そりゃ誰が聞いても怪しいと思うでしょう。そのこと自体は社長のプライベートだからとやかく言う問題ではないでしょうが、人口10万程度の地方都市ですから噂はすぐに広がります。社長が飲み屋の女性にうつつをぬかしているなんて話が広まっては、それこそ会社の信用問題になりかねない。他の社員も心配しています」と困り顔で相談してきました。
私は部長に代わって社長に事実を確認することにしました。
「僕とあの店のママがかい?バカバカしい。ありえないよ、そんなこと。その噂を流すヤツも流すヤツだが、鵜呑みにするうちの社員やあなたもどうかしているよ。よくよく現場を確認してからものを言ってくれよ」
当時社長は50代前半。遊び人風情というよりはむしろ自他ともに認める大真面目なタイプなのですが、それが故にかえってシラフの飲み屋通いには何かあるに違いないと勘ぐられたのかもしれません。
あらぬ疑いをかけられた社長はとても黙っていられんと思ったのか、その日のうちに私の手を引かんばかりの勢いで件の店に連れて行きました。
「話し相手が欲しいんだよ」
お店はアルバイトの女性が2人いましたが、切り盛り役は60代半ばのママです。ママは若い頃ならそれなりの美人であったろうとは思われるものの、確かに社長が入れ込むような対象にはおよそ成り得ない印象で、私の疑いは一瞬にして晴れました(ご本人には無礼な物言いですが)。社長はいつもカウンターの指定席に座ってカラオケをするでもなく、ノンアルコールの飲み物を片手にママと小一時間話をして帰るということでした。
それにしても分からないのは、お酒も飲まないカラオケもしない社長がなぜ足繁くこの店に通うのかでした。真面目な社長は、既に疑いが晴れてはいても身の潔白を強調すべく心中を包み隠さず話してくれました。
「話し相手が欲しいんだよ。いや、話し相手というより上手な聞き役かな。社長が社員に愚痴めいた話を聞かせるわけにはいかないだろ。そうかと言って、女房は共同生活者だから、変なことを言えば冷静さを失って余計な心配をかけることになるしね。この席でこうやってママを相手にいろいろ普段口にできないことを話すことで、課題の整理やこれからどうしていくべきかとか、自分の頭の中もスッキリ整理されるんだよ」
私は俗に言われる「社長の孤独」を目の当たりにした気がしました。デフレ不況下で社用族が激減し東京の銀座界隈で閉店を余儀なくされるクラブ系飲食店が多い中、それなりの教養を備えたママが運営する経営者御用達の高級店ほど経営は安定しているという話を聞いたことがあります。なるほど、銀座の高級クラブに限らず聞き役になってくれる聞き上手のママがいるお店はどこの街でも、世の社長さん方の「孤独」癒しの場として活用されているということなのでしょう。
「社長の孤独」とマネジメント・スキル
その後、件の部長から、C社長が社員を引き連れて噂のお店に行ったと聞きました。
「健全そうなお店で安心しました。年輪を感じさせるあのママの人柄なら、社長が愚痴聞き相手を求めて足繁く通う気持ちも分かりましたし、僕らももっと社長に腹を割って相談してもらえる環境を作らなくてはいけないと思いました」
と、噂事件はいい方向に転じて終息したようでした。
どんなにアットホームな会社でも、どんなに小さな会社でも、社長と社員が全く同じ感覚ではモノを考えられないのは普通であり、「社長の孤独」は必ず存在します。愚痴を話す相手が飲み屋のママであるか否かは別として、私自身も銀行を辞めて自分の会社を運営してみてそれを初めて実感できました。その孤独感を社内の人間関係で悪い方向にぶつけることなく、時には第三者の力を借りながら上手に対処していくことも、経営者にとっては重要なマネジメント・スキルのひとつであると感じています。(大関暁夫)