勉強熱心でスキルも高い「スーパーマン」 だけど飛べなかったら意味がない

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MBAを取得、都銀を辞めて外資系コンサルへ転職したが…

   初回は、MBAをテコに、キャリアアップしようとしたものの、シナリオ通りにはいかなかった「飛べないスーパーマン」を紹介したい。

   MBAと言えば、Master of Business Administrationの略称。昔も今も、文系サラリーマンに絶大な人気を誇る修士号だ。

   筆者は、都市銀行を経て、米名門ビジネススクールに留学し、外資系コンサルティング会社に勤めたあと、ベンチャー企業の役員に転じた男性(48歳)を知っている。彼は、「今では信じられないことかもしれませんが、1990年代初頭までは、大学でも銀行でもめぼしい同期の大半は、社費で(海外の)MBAを取りに行っていた。私も大学に行くのと同じ感覚で、MBAを取りました」と言っていた。それほどに、エリートビジネスマンのパスポートとも言える存在だった。

   当時はビジネススクールの夏休みにもなると、マッキンゼーだのボストンコンサルティンググループだの、そうそうたるコンサルティング会社や、投資銀行などが、向こうのほうから、インターンに来ないか?と誘ってきて、そのまま就職する人が多かったそうだ。

   90年代までは確かに、そんな「古き良き時代」があったのだ。

   バブル経済直後の日本は、まだその余韻で国力があったから、欧米の名門ビジネススクールも、優先的に日本人を受け入れていたし、MBAそのものに希少価値があったため、就職・転職に俄然有利な印籠として充分、機能したのである。

   ちなみに、彼の場合、その後どうなったのか? MBAを取得したお蔭で、輝かしい活路が開かれた時期もあったが、一つの会社で順調にキャリアを重ねていく人生より、はるかに重い労苦を味わったと、振り返る。

「アメリカのビジネススクールに行ったら、当時勤めていた都銀の世界が、色褪せて見えちゃいましてね。何歳で支店長になって、何歳でマンションを買って、何歳でローンを返済して終わり、みたいな人生は嫌だなと。それで銀行を辞めて、夏休みにインターンした外資系コンサルティング会社にそのまま転職。でもコンサルの世界は、UP OR OUT(昇進かさもなければ退社か)といって、ヒラからマネージャー、マネージャーからプリンシパル、プリンシパルからパートナーと、およそ3年おきに階段を上がって行かなければいけない。僕の場合はプリンシパルで躓いて、ヘッドハンターにベンチャー幹部の仕事を探して貰ったんです」

   これが凶と出た。そのベンチャーの社長は、怪しい筋に人脈のあるきな臭い人物で、会社も数々の違法行為をしていたことが判明し、数年で会社は事実上解体、彼も解雇された。

「飛べないスーパーマン」、あなたの周りにいますか?
たくさんいる
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自分のことだ・・・
その他
佐藤 留美(さとう・るみ)
ライター。企画編集事務所「ブックシェルフ」(2005年設立)代表。1973年東京生まれ。青山学院大学文学部教育学科卒。出版社、人材関連会社勤務を経て、現職。著書に、『資格を取ると貧乏になります』(新潮新書)、『人事が拾う履歴書、聞く面接』(扶桑社)、『凄母』(東洋経済新報社)、『なぜ、勉強しても出世できないのか?』(ソフトバンク新書)、『結婚難民』(小学館101新書)などがある。
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