ハードワークで低賃金、日々プレッシャーに晒される…など、労働環境が劣悪な「ブラック企業」の中にいる人たちは、なぜそんなひどい環境に身を置きながら辞めないのか?
前回記事では、「世間からはブラックと揶揄されるが、本人にとってはやりがいを感じている」パターンについて、私自身の経験も踏まえながら考察した。しかし、これはまだ恵まれた部類であろう。世の中には、「本人にとっても何らメリットもない、違法状態が温存された劣悪な環境で働いている人たち」は多数存在している。では彼らはなぜ、そんなブラック企業を辞めないのだろうか?
「嫌だと思ったら辞めればいいのでは?辞めるの自由よん」
少し前の話だが、ホリエモン氏もツイッターで同様の疑問に対し「嫌だと思ったら辞めればいいのでは?辞めるの自由よん」と回答した。これには賛否両論あったようだが、私としても氏の意見は至極真っ当だと感じている。
イヤなら辞めればいい。いくら確信犯的なブラック企業といえども、社員がいなければ営業していけないから。「サッサと辞めて、ひどい会社だったと口コミで広げ、人も取引先も寄り付かなくなる」というのが、ブラック企業の息の根を止めるために大いに有効である。
しかし不思議なことに「ブラック企業なのに頑張って働いてしまう社員」がいるから、かの企業は生き長らえているのである。
彼らが辞めない理由については、私自身もいろんなブラック企業の社員と面談してきた経験を踏まえ、大きく3つ+根底に1つの理由が挙げられると考えている。それぞれ詳しくみていこう。まず、大きい3つからだ。
(1)ほかに行き所がない
(2)責任感が強い
(3)プライドや承認欲求を満たしている
まず、
●(1)ほかに行き所がない
これは更に、「本当にスキル不足・経験不足で、辞めたら再就職の道がない」場合と、「探せばいろいろあるのだが、本人が勝手に行き所がないと思い込んでいる」場合に分かれる。
前者については、仮に本人に働く意欲がないのであればそもそも問題外だ。資本主義経済社会で生きていくのは難しいだろう。
しかしスキルが多少足りなくとも、働く意欲さえあればなんとかなる。「もう後がないので、死ぬ気で働きます!」と宣言できれば、その意欲を評価し、期待する会社は必ず見つかる。
後者については、本人のアンテナ(情報への感度)が鈍かったり、交流しているネットワークが狭かったり…といった理由で、「自分の置かれた環境がいかにアブノーマルなのか」「自分の市場価値はいかほどか」という情報が客観的につかめていない状態であることが考えられる。社外の人たちとも幅広くコミュニケーションをとる中で、自らの価値を認識して、自信をもって外の世界に飛び出してほしいものである。
本当に悪質な会社の中には、辞められることへの対抗策として「お前のような人間、今辞めても再就職先が見つかるはずない!」「中途半端な辞め方をしたという噂が業界で流れて、ブラックリストに載るぞ!」などといったメッセージを植え付けて洗脳を施すケースがあるので、注意が必要だ。もちろん心配はいらない。先述のとおり、働く意欲と覚悟があればやり直しは効くのだ。
結果的にブラック企業をのさばらせている
●(2)責任感が強い
真面目で、ハードワークな環境でもコツコツ働けるタイプの人たちだ。「周囲もがんばって働いている」「自分だけが抜け出してしまうと、周囲のメンバーにしわ寄せが来てしまう…」などと考え、一人で抱え込んでしまうのである。
結果的に鬱病などを発症しやすく、最悪の場合、過労死や過労自殺に至ってしまう可能性もあるので、あまり抱え込まないようにすることをお勧めしたい。
責任感が強いことは、業務上では実に素晴らしい特質だ。しかし相手が違法行為も辞さないブラック企業で、本人が追い詰められた状態なのであれば話はまったく異なる。もう気にすることなく、辞めてしまえばよいのだ。企業側が社員に対して無責任なら、社員も無責任でいい、と割り切って考えようではないか。
●(3)プライドや承認欲求を満たしている
これまで無職やフリーターだった人にとっては「正社員である」ということ自体が優越感であり、承認満足感を抱いてしまう要素でもあり得る。そこに対して、「ここまで苦労したのに、またニートに戻りたくない」「無職とバカにされたくない」というプライドが絡み合って、辞められないマインドセットになっていることが考えられる。
また「養う家族がいるから辞められない」という理由にも、同様の背景が存在する可能性がある。本当にお金の問題であれば、辛い思いをしながらブラック企業で働き続けるより、他の会社にサッサと移ったほうが精神衛生上良いはずだ。しかしそれでも辞めないのは、「一つの会社で真っ当に勤め続けている自分を認めてほしい」「中途半端に辞める(ように見える)ことで、親や家族を心配させたくない」「自分が家族を食わせてやれなくなるなんて情けない」といった、いわば「見栄」に近しい感情が根底にあるケースも存在する。
気持ちは分からんでもないが、自分自身への承認を、ブラック労働に求めてはいけない。そんな人の行動が、結果的にブラック企業をのさばらせていることになることに気づくべきなのである。
すべての根底に存在している「日本的メンタリティ」
日本人は「努力」や「忍耐」、そして「頑張り」が大好きだ。「石の上にも三年」といった諺もある。新卒学生を送り出す高校や専門学校、大学などの就職指導においては「辛くてもすぐに辞めずに頑張ることが重要だ」と繰り返し教え込んでいる。
たとえブラックと呼ばれる労働環境でも、「努力して働き続けられる人」=「忍耐力があり、偉い」と評価される、などという構図はよくあるパターンだ。たとえば、一流料亭や、ミシュラン三ツ星レストランあたりで修業、というと何やら崇高なイメージで捉えられるのではなかろうか。しかし厳密には違法労働だったりする。(同じような違法労働でも、全国展開する居酒屋チェーンなら会社が叩かれたりもする。どうもダブルスタンダードだ…)
本来は仕事よりも重要なはずの自分自身の健康を犠牲にしてまで、サービス残業をこなしながら仕事に邁進する。誰もがこの状況をおかしいと感じながらも、我慢大会のようにそのゲームから抜けられない状態ではなかろうか。
これは日本だけの構図なのか?だとしたらいつからこのような状態なのか?
それについて述べるとまた長くなってしまうので別の機会に譲るとして、労働に対する日本的な価値観というものは確実に存在している。
日本には古くから「農業則仏行」(農業はすなわち仏行なり)という思想があった。これが江戸時代には「仏法則世法」となり、商工業も含めて肉体労働と人格修業、そして精神的生活は一体化したものと捉えられ、個人は所属集団の存続のために働くことが美徳とされるようになった。日本人の集団帰属意識(それがたとえブラック企業であっても…)の強さの原点といえよう。
歴史的に日本人の精神に根付いてきた倫理的価値観はなかなか払拭しがたいかもしれないが、ブラックはブラックだ。他でもない、あなた自身の人生である。本当に報われない、自分の人生を無駄にしかねないブラック企業と感じたらサッサと辞めようではないか。
そしてブラックではない企業は、そういった不幸なミスマッチに遭ってしまった人を広い心で迎え入れる環境であってほしい。(新田龍)