すべての根底に存在している「日本的メンタリティ」
日本人は「努力」や「忍耐」、そして「頑張り」が大好きだ。「石の上にも三年」といった諺もある。新卒学生を送り出す高校や専門学校、大学などの就職指導においては「辛くてもすぐに辞めずに頑張ることが重要だ」と繰り返し教え込んでいる。
たとえブラックと呼ばれる労働環境でも、「努力して働き続けられる人」=「忍耐力があり、偉い」と評価される、などという構図はよくあるパターンだ。たとえば、一流料亭や、ミシュラン三ツ星レストランあたりで修業、というと何やら崇高なイメージで捉えられるのではなかろうか。しかし厳密には違法労働だったりする。(同じような違法労働でも、全国展開する居酒屋チェーンなら会社が叩かれたりもする。どうもダブルスタンダードだ…)
本来は仕事よりも重要なはずの自分自身の健康を犠牲にしてまで、サービス残業をこなしながら仕事に邁進する。誰もがこの状況をおかしいと感じながらも、我慢大会のようにそのゲームから抜けられない状態ではなかろうか。
これは日本だけの構図なのか?だとしたらいつからこのような状態なのか?
それについて述べるとまた長くなってしまうので別の機会に譲るとして、労働に対する日本的な価値観というものは確実に存在している。
日本には古くから「農業則仏行」(農業はすなわち仏行なり)という思想があった。これが江戸時代には「仏法則世法」となり、商工業も含めて肉体労働と人格修業、そして精神的生活は一体化したものと捉えられ、個人は所属集団の存続のために働くことが美徳とされるようになった。日本人の集団帰属意識(それがたとえブラック企業であっても…)の強さの原点といえよう。
歴史的に日本人の精神に根付いてきた倫理的価値観はなかなか払拭しがたいかもしれないが、ブラックはブラックだ。他でもない、あなた自身の人生である。本当に報われない、自分の人生を無駄にしかねないブラック企業と感じたらサッサと辞めようではないか。
そしてブラックではない企業は、そういった不幸なミスマッチに遭ってしまった人を広い心で迎え入れる環境であってほしい。(新田龍)