前回、フィリピンの台風でセブシティには大きな被害がなかったこと。そして、被害が大きかったレイテ島の人たちはセブシティで働いている人も多いので、セブに訪れる予定がある人は予定通り来て欲しい、予定がない人は少しでも寄附をして欲しい旨をお伝えしました。
今回は、私の知り合いのセブで働く20代フィリピン人男性で、実家がそのレイテ島にあり、支援物資を届けに行ってきた人に聞いた話をお伝えします。
避難すると火事場泥棒が…
彼の実家は、非常に大きく立派な家でした。「でした」と過去形なのは、今や家と呼べるレベルではなくなっているからです。
彼が実家にたどり着いた時、そこには家の壁はあるのですが、屋根はありませんでした。そして、家の中は瓦礫やどこからか飛んできた木が積み重なっていました。彼の両親は、吹き荒れる台風の中で、家が壊れていくのを泣きながら呆然と見届けるしかなかったそうです。
今、彼の家の周辺では紙幣に価値はないそうです。ものを手に入れるには救援物資を待つか、物々交換をするしかないそうなのです。そんな状況であれば、セブシティなどに避難すれば良さそうなものですが、火事場泥棒がたくさんおり、家を空けると中のものが盗まれてしまうため離れることが出来ないのだそうです。実際、道ばたでは、子供がどこからか拾ってきたトタンの屋根を販売していました。
まさに、極限状態です。
無法地帯となっているレイテ島ですが、フィリピン人のほとんどの人は、元々家族思いの心優しい人たちです。その証拠に、今、セブシティでは多くのスーパーマーケットで安い米が品切れ状態になっているそうです。セブシティの住人がこぞって米を買って、レイテ島に救援物資として送り続けているのです。
「略奪をされた人がいる」
「非常事態に略奪を働くような野蛮人にする援助はない」などという方もいるかもしれません。しかし、我々は、略奪をする人がいるからこそ、援助をしなくてはならないのです。略奪をする人がいるということは同時に「略奪をされた人がいる」ことを意味するからです。
自然の猛威に住むところを奪われた上に、周りの同じ国の仲間だと思っていた人たちに、わずかに残ったモノを奪われる絶望は、想像を絶します。彼らを救うのは、見ず知らずの誰かの支援しかないのです。
テレビで報道されているとおりの絶望的な状況は、レイテ島やセブ島の北部で、今もなお実在し続けています。繰り返しますが、彼らを短期的に救うのは支援物資であり、長期的に救うのはセブシティやマニラなどでの長期的な雇用です。そして、「自粛」という名の風評は彼らを長期的にジリジリと苦しめることになります。
少なくとも、セブシティやマニラなど、多くのフィリピンの街は台風の影響はほぼありません。渡航の予定がある人は、是非、フィリピンを訪れて、フィリピンの旅や留学を楽しんでもらえたらと思います。(森山たつを)