「努力は報われる」といった考えを都合よく利用
【(2)経営的側面】
●高度なスキルは不要で、労働力確保が容易
多くの仕事がマニュアル化され、アルバイトでもこなせる単純作業で、高度な知識や経験は不要になった。採用対象となる母集団は数多いため集まりやすく、仮に誰かが辞めても「また雇えば問題ない」というイメージができ、経営側にとって「誰でもできる」「代わりはいくらでもいる」という考えになりやすい。結果的に「人を育てる」意識が低くなり、低賃金でこき使いやすくなる。
●経営陣の努力不足、アイデア不足
業績が芳しくないとき、経営陣はその状況を打開するためにアイデアを出し、至らないところは改善し、実行していかねばならない。しかし彼らが思考停止し、安易に「値下げ」や「営業時間延長」に走ってしまうと、そのしわ寄せは従業員に来ることになる。「労基法なんか守ってたら利益は出せない」などと開き直り、薄給で責任感をもって頑張ってくれる社員に甘えて、利益が出るシステムを創ってこなかった責任は重い。
●採用での情報提供
離職率が高い業界は必然的に不人気となり、就業希望者は相対的に減ってしまう。人が集まらなければビジネスも回らないため、採用時には「昇給する」「裁量権限を任せる」「社風がいい」など耳に聞こえのいいことばかりを前面に出してアピールすることになる。その情報自体は間違いではないにしても、一方で「ハードワーク」とか「重いプレッシャー」といったネガティブな情報を故意に伝えない。結果的に応募者の心構えが足りず、入社後「こんなはずじゃなかった…」というミスマッチを感じて、辞めてしまうことになる。
【(3)日本的メンタリティ面】
●労働に対する価値観
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「石の上にも三年」「努力は報われる」といった考えを都合よく利用し、理不尽な業務量を強要する。また「過酷な環境に耐えられる者が偉い」という認識がまかり通っている。結果的に責任感が強い社員ほど「自分が頑張らなければ…」と一人で抱え込み、過労状態になってしまう。
また同じ「薄給激務」状態でも、チェーン店だと叩かれて、高級料亭やミシュラン星付店だと修行の名の下に美談になるのは明らかにダブルスタンダードだ。違法な労務管理はすべてNGであるはずなのに……。批判する側の良識も問われている。
●おもてなし文化への甘え
ユーザーにとって「お客様は神様」という意識が根強く、会社も客も、過剰な水準の接客サービスを従業員に強いる。これまたしわ寄せは従業員に来ることになる。
ちなみにこの「お客様は神様」というフレーズは、演歌歌手の三波春夫から有名になった言葉だが、決して「金を払った客なんだから、神様扱いしろ」という意味ではない。「お客様を神様と捉える、そうすることで芸に磨きをかけ、心の雑念を払い最高の芸を見せることができる」という主旨である。
相応の対価も払わずに、サービス要求水準ばかり厳しいお客様は「神様」ではない。高いレベルのサービスを受けて気持ちよくなりたいのであれば、相応の金を支払うべきなのだ。