知り合いのA社長から、ある女性社長の興味深いお話を聞かせていただきました。その女性社長Bさんがトップを務めるC社は、創業者であるご主人が作り上げた従業員十数名の金型製造業。2年前にご主人が突然亡くなられ、後継もなくそれまで形式的に取締役をされていた奥様が、止むにやまれず社長として会社を引き継ぐことになりました。
腕利きの職人が亡き社長以外にもいたことと、社長と共に営業をしてきて取引先と顔つなぎができていた社員もいて大手企業系列の仕事が安定的に入っていたので、技術や営業に全く不案内な元社長夫人でも当面会社はやっていけそうな状況にはありました。とは言いつつも商工会の社長仲間は、ズブの素人女性社長の指揮下で果たしていつまで会社がうまくまわるのかと、誰もが心配しながらその行方を見守っていたそうです。
『○○さん、いてくれてよかった』
しかし周囲の心配をよそにその後も会社運営は順調で、むしろ前社長の時代よりも会社に活気が出てきたのではないかと商工会でも評判とのこと。そんな折、ある会合でC社の№2とたまたま同席し話をする機会を得ました。私の関心は当然、どうやって専門知識も経験もない前社長夫人が亡き夫の後継として会社を引っ張っていけたのかについてです。自己紹介も早々に質問をぶつけてみました。
「先代を継がれたB社長は一生懸命勉強されてはいますけど、1年や2年で創業者である前社長にはとうてい追いつけるはずもありません。営業面とて同じこと。ただ彼女は前社長とはちがうやり方で、社内を随分変えてくれたのは事実です」
"素人社長"が社内を変えた?詳しく聞いてみると、それまでの前社長を含めた職人中心の無口でつっけんどんな雰囲気が、現社長になってから180度変わり会社を訪れる取引先からも、明るくて本当に気持ちのいい会社になったと大好評なのだとか。もともと技術力があった会社に、明るさが増して好感度が高まったことで突然主を失った組織が引き続き業績を安定させている要因になっているのだと言うのです。こんなにも会社を変えた未亡人社長の秘策とは何なのか、益々興味をそそられます。
「とにかく感謝の言葉を事あるごとに社員全員にかけてくれるのです。『ありがとう』『助かっています』等々。極めつけは『○○さん、いてくれてよかった』。この"殺し文句"に社員はすっかりその気になって、いやが上にもやる気に満ち溢れさせられてます」。
目にとまった「一隅を照らす」
それに加えてB社長が始めたのが、社員間や来客へのまごころ挨拶の励行。はじめは気乗りがしなかったシャイな職人肌の社員たちも、社長の感謝の一言による皆のモチベーションアップ効果から「おはよう」「こんにちは」「いってらっしゃい」「いらっしゃいませ」が自然に出るようになり、社内の雰囲気はすっかり変ったのだそうです。
私とB社長との直接面談は残念ながらいまだ実現していないのですが、この話にあまりに興味が尽きないので面識のあるA社長から事の真意をたずねてもらい、次のようなお話をいただきました。
ご主人を亡くし突然社長の重責を担わざるを得なくなった時に、たまたま読んでいた本の一節に出ていた平安の高僧最澄の言葉が目にとまったそうです。「一隅を照らす」。これは自分に与えられた立場でできることに全力を尽くせば、全体が明るく照らされることになり、何事もよい方向に向かうという意味です。
「この言葉を目にした時に、専門的な知識もなくまともな仕事など何もできない私にできることは、会社を支えてくれている社員の皆さんやお取引様への感謝の気持ちを言葉にしたり明るく気持ちのいい挨拶をしたりという、正に「一隅を照らす」ことなのだなと思ったのです。背伸びをしても仕方ない、まずは自然体でできることをやっただけのお話です」
経営者は経営者であると言う責任感や自負をもって組織をひっぱることは必要ですが、油断をしていると行き過ぎたプライドや慢心がついつい自身に背伸びをさせて、思わぬ失敗に陥ることもあるのです。背伸びをせずに今自分のやれることはなにかを確かめつつ、「一隅を照らす」ことからはじめた素人社長の一言からは、ベテラン社長にも学ぶべきものがあるように思います。(大関暁夫)