元陸上選手、為末大さんが、「努力すれば成功する、は間違っている」という発言をして、話題になっています。賛成の声がある一方、反発する人も多いようで、J-CASTニュース記事(2013年10月28日配信)でも「炎上」などと取り挙げていました。
私は、この発言はアスリートの世界では当たり前だし、一般的な市民にとってもある程度当てはまるものだと考えています。そして、21世紀の日本では、このような事に直面する人が増えてきています。では、それ以前の日本では、そして東南アジアではどうかということを考えてみましょう。
21世紀になって出てきた、ふたつの大きな問題
私は、才能と努力は足し算だと思っています。人には元々(大小様々な)才能があります。そして、その才能は努力で伸ばすことができます。つまり、「その人の力=才能+努力」なわけです。才能で劣っていても、努力を積み重ねることで逆転することもできますが、才能の差が圧倒的な場合、それは不可能です。
オリンピック金メダルを目指すアスリートの世界では「才能>努力」 というのは、だれが考えても分かることです。特に陸上競技ではなおさらです。短距離走で努力で縮められる記録は、極端な例は別にすれば、0.1秒単位であり、練習しなくても100mを10秒台で走れるような選手が努力してたどり着くのが金メダル。一生懸命努力した結果が12秒という人はどうあがいても勝てません。100満点中、才能で90点以上ある人たちが、努力に努力を重ねて99.9点を目指す世界だからです。
では、一般的な仕事の場合はどうでしょう?当たり前ですが、オリンピックほど競争が激しいわけではありません。仕事にもよりますが、オリンピック金メダルと比べたら、求められる得点は60点くらいがいいところでしょう。元々58点くらいの才能がある人は少しの努力で越えられるし、最初から70点くらいの才能があれば、努力はほとんど要らないかもしれません。50点くらいの才能のひとも、努力すればなんとか越えられる。それくらいの目標が設定されている仕事が多かったのです。
また、才能に恵まれなかった人にも、30点とか40点をクリアすればいいような仕事もたくさんありました。
しかし、21世紀になってふたつの大きな問題が出てきました。
ひとつは、同じ仕事でも目標点数が上がり続けていること。もう一つが、低い点数でもいい仕事が減少していることです。
東南アジアに目を移してみると…
ひとつめですが、日本のサラリーマンの給料が20年近く概ね減少傾向であることからも分かるとおり、同じ点数を取っていたら給料は下がっているという現状があります。下がっている理由はたくさんありますが、20年前の人と同じ才能を持った人が同じだけ努力しても、得られる果実は少ないという可能性が高いです。
ふたつめに関しては、グローバリゼーションと機械化によって、簡単な仕事は給料の高い日本人がやる必要がなくなっているというのがあります。例えば経理処理に関して、数値の計算は昔は正確に仕事をこなすことの才能があってソロバンに関する努力をした人がやっていたのですが、今はコンピューターが全てやってくれます。また、伝票を記帳するような仕事はスキャナでスキャンしたデータをベトナム人やカンボジア人が文字おこしをしてくれるので、日本人が出る幕がありません。
こうやって、「努力したけれども、先人と同じような果実を得られない」という人や、「自分の才能+努力の結果では就ける仕事がない」という人が増えているのが、この「努力すれば成功する、は間違っている」という発言が話題になる理由だと思うのです。
東南アジアに目を移してみるとどうでしょう?
インドネシアでは今年(2013年)も毎年恒例の賃上げデモが行われています。今年は賃金を50%上げろといっているそうです(結局11%との発表がありましたが、労組側は大反発中です)。去年、一昨年は40%ずつ上がりました。インドネシアで職に就いている人は、クビにならない程度に働いていれば賃金は年々上がっていっています。
我々からしてみると、「ただ高度成長のインドネシアで働いているだけで」と思ってしまいますが、本人たちはそんなことは考えないでしょう。毎日渋滞の中、会社に行って、9時から5時まで働かされて、頑張って努力しているから俺の給料は去年の1.5倍になった!努力、最高!って思っている人が多いんじゃないでしょうか?
今、働き盛りのインドネシア人の多くは、自分の親を始めとする前の世代よりも明らかにいい暮らしができていますし、これから努力すればもっといい暮らしができると信じているでしょう。
実は、努力も報われるっていうのは、こういう外部環境によるところも大きいのかもしれません。
大切なのは、探す、知る、あがくこと
では、日本に生まれた我々は不幸なのでしょうか?私は、必ずしもそうとは思いません。
インドネシアのジャカルタに生まれて、大学を出ることができた様な人たちはこの好景気を満喫していますが、ジャカルタからちょっと離れたところにある地方の街などに行けば、最終学歴小学校卒などという人たちがたくさんいます。この人たちは、工場の工員として働くのも難しく、村で農業をするといった選択肢しかなく、その仕事は努力しても収入はさほど増えず、しかし、周りの物価は上がっていきます。
それと比べると、大半の日本人には多くの選択肢があります。日本国内はいろいろ難しいかもしれませんが、国内で好況の東南アジアの人たちからお金をもらうような仕事に就くこともできますし、自ら東南アジアに行って仕事を見つけることも可能です。
なにもしないでいると、段々沈んでいく下りエスカレーターですが、そのエスカレーターを乗り換える自由はあるのです。
私は、「努力をすれば何でもできる」という考えも、「才能がなければ努力しても無駄だからふてくされて何もしない」という考え方も好きではありません。せっかく多くの選択肢がある国に生まれたのですから、自分の才能と努力を組み合わせて、手の届く範囲でいろんな事をしてみて、自分なりの幸せを掴むことを目指すべきだと思います。大切なのは、探す、知る、あがくこと。
本コラムや著書で、海外就職を含む様々な働き方という選択肢を提示しているもそういう理由です。(森山たつを)