「スキルで採用」の世の中の方が人に優しい
こういうと、「企業はそんなひとはとらないよ。採用をわかってない」というツッコミをくらうこともしばしばです。
そうなんです。実はその指摘も正しいのです。
トップ企業の新卒採用というのは、まさにポテンシャル採用です。しかし、最近は、バブル時代とちがってポテンシャルといっても、本当に上澄みの人のハイパーポテンシャルな人しか採用しません。学歴があり素直で元気程度では全然ダメなのです。
頭がよくて、リーダーシップもあって、タフで、吸収力があって、コミュニケーション力が高くて、しかも気配りができて組織に馴染みそうで和はみだすほど尖っておらず、さらに上司の考えを汲み取りつつも自分なりの考えを加えて行動できるような人間。
はっきりいって、パーフェクトな人材しか欲しくないんです。
そのなかには、スキル要件はありません。そういう人材はあとからスキルが学べるから。ポテンシャルで採用するということは、逆に言うと、実務経験やスキルを軽視するということです。
日本の企業が、ポテンシャルの採用にこだわって、スキルではなく人の素質で採用を決めている限り、中堅大学以下の学生には、はっきりいってチャンスはありません。
もう幼少のときの育て方や考え方のレベルから、就活向けに育てていかないと太刀打ちできないんです。
かつては文系ノースキル学生にとってはポテンシャル採用はすばらしい採用でした。高度成長期で人が足りませんでしたが、そこそこの大学を卒業すれば、職につけたからです。
しかし現在のポテンシャル採用は、いってみれば、果物屋の店頭で、傷みやすい桃の山のなかから、傷も全くなくピンク色で色艶がよく甘く完熟した桃を、たった一つだけ購入するような採用です。
ノースキルの中堅以下の学生にとっては、逆にスキル採用のほうが優しい場合もあります。奮発して、英語を学び、なにか実務を身につけたりすれば、それで雇ってくれるところがあるという採用の中のほうが実は、優しいのです。10年浪人して、司法試験に合格しました、というひとが弁護士として活躍できる世界のほうが人にはやさしいのです。
スキルはあとから挽回可能です。勉強したり努力したりすることで身につけることができますが、ポテンシャルは勉強や努力によっては、向上しません。
ポテンシャルで人を判断すると、年齢のほか、性別や、国籍、留年がどうだとか、過去の挽回できない経歴も考慮に入れないといけなくなります。それよりも、何ができるかということで判断して、それ以外のバックグラウンドを問われない採用のほうが、むしろ人に優しい採用だといえるのかもしれません。(大石哲之)