時期は違いましたが、二人の中小企業社長から受けた一見すると全く正反対のお悩み相談が、実は中小企業にありがちな同じ原因によるものだったというお話です。
一人目は、50代半ばのA社社長の相談。若手社員の本音が聞きたくて社員を飲みに誘っているものの、ついてくるのは気心の知れたベテラン社員ばかり。肝心の若手は、上司に諭されてたまに顔を出すものの、口数少なくほとんど本音は見えずじまいであると。「どうしたらもっと若い連中が自分に心を開いてくれるのか」と悩ましげに相談をしてきました。
飲んで会社への不満言うのは「れっきとした経営批判で就業規則違反」?
私は社員の真意を知るべく、とりあえず、顔みしりの幹部社員に忌憚のないところを聞いてみることにしました。
A社の総務部長の弁では、若手からすれば普段顔を見る程度で「よく分からないオジサン」状態の社長と飲みに行ってもおもしろくないし、「よく分からないオジサン」に自分のことを根掘り葉掘り聞かれるのも嫌なのじゃないのかと。「会社に絶対服従だった僕らの若い頃とは違って、彼らは嫌なものは嫌とハッキリ言うし、たとえ相手が社長であろうと居心地の悪い酒の席はお断りと自分の考えを貫きますからね」と困り顔でした。
恐らくは若手社員の立場から見た場合、社長は得体が知れないが故に居心地の悪い存在になっているのだなと、私は思いました。
もう一人のB社社長も50代半ば。彼は同じお酒の席の話でも、「酒を飲んで会社の悪口を言っている若手社員がいる」とおかんむりでした。社長自身が酒を飲まないこともあって、「酒は人を悪くする」が彼の持論。「飲んで同僚や後輩相手に毒を吐きまくるのは悪いムードを社内に蔓延させるし、会社からすればれっきとした経営批判であり就業規則違反じゃないのかい。仕事帰りの社員同士の一杯を禁止したい!」と鼻息荒くまくしたてました。
B社では営業課長に話を聞きました。社長のやや独断的な会社経営に対して、一部若手の間で不満がくすぶっているのは事実であると、彼は話してくれました。「誰が震源地かもだいたい想像がつきます。例え社長が飲み会を禁止しても、"闇飲み会"は存続するでしょうし、そうなればむしろ会社の一方的なやり方に心証を害して一層過激な悪口が横行するのじゃないかと、そちらの方が心配」であると。
こちらの社長は社員の目に映る独断的な自身の姿に気づいてない様子で、一部社員の不平不満をさらなる「独断」で潰そうとしていると、私にはそう理解できました。
社長のコミュニケーション不足は、組織の「万病の素」
片や酒の席で若手にもっと話をして欲しいA社社長、一方の「酒の席で社員は余計なことを話すな」と怒るB社社長。一見正反対に見える二人の社長のお酒に席を巡るお悩みに対する私の処方箋は、全く同じものでした。それは「社長自身が日常的な社員一人ひとりとのコミュニケーションを、もっともっと増やしましょう」というものです。
A社社長に関して言うなら、若手社員との日常的なコミュニケーションが不足しているから、彼らから「よく分からないオジサン」と思われ、一緒に飲みに行ことも腹を割って話をすることも敬遠されているわけです。小さな組織ですから、社長と社員がもっと日常的に近しい関係になれるなら、例え世代間のギャップはあろうとも、たまには一杯飲んで社長ともいろいろ話をしてみようかという気にもなるのではないかと思われました。
B社社長の「独断」はコミュニケーション不足の象徴そのものです。社員とのコミュニケーションが絶対的に不足し、社長の様々な決定が彼らから見て「独断」と映るから不平不満が募る。事前のコミュニケーションによって、社長の考え方を何かの決定前に説明したり伝えたりあるいは社員の意見を聞いたりするなら、「独断」イメージは大きく解消され社員同士の酒の席での不満爆発はかなりの確率で避けられるはずなのです。
この二人の社長のケースはさほど深刻なものではありませんでしたが、中小企業における社長のコミュニケーション不足と言うのは非常に起きやすい現象であり、誤解、行き違い、すれ違い、思い違い等々さまざまな弊害を生み、そのことが時として大きな問題にも発展します。言ってみれば社長のコミュニケーション不足は、風邪と同じく組織にとっては"万病の素"でもあるのです。
経営者は常にコミュニケーションの大原則「コミュニケーションは量が質をつくる」を念頭において、社員一人ひとりとの日常的コミュニケーションの量の確保に務めて欲しいと思うところです。(大関暁夫)