「お客様は神様」の本家もクレーマーに怒っている? 社員に「客に土下座」強いる空気はおかしい

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   商品やサービスが気に入らないと、店員に必要以上に文句をつけるクレーマー。つい先日も北海道で、衣料品店「しまむら」の従業員に土下座を要求し、さらに自宅に来て謝罪するよう念書を書かせたとして40代女性が強要の疑いで逮捕された。

   ソフトブレーン創業者の宋文洲氏は、客と店員のこうした不公平ともいえる関係をツイッターで批判した。矛先は、たとえ理不尽でも客への「服従」を社員に強いる経営体質にも向かった。

悪い経営者は「お客様」言い訳に社員に犠牲強いる

お客様は神様ですか?クレーマーも?
お客様は神様ですか?クレーマーも?
「『お客さんが神様』なんかじゃない。理不尽のことを言う客は客ではない」

   宋さんは2013年10月8日、ツイッターにこう書き込んだ。たとえ相手がクレーマーでも、客である以上店側は言うとおりにしなければならないような風潮に「ダメ」を出したのだ。売買は売り手も買い手もお互いに得をするのだから、「買うからといって偉そうにするなよ」と突き放し、あくまでも対等な関係性を強調している。

   「商人というのは客に価値を売っている。媚を売っているのではない」との持論だ。製品やサービスの質、中身で勝負するのであり、客に媚を売るため社員に過剰な負担を強いるような企業は失格という。「従順な日本人社員からの搾取で成り立つサービス業が多い」とも指摘した。

   さらに「顧客を神格化して社員に犠牲を要求する経営を改めないと社員は救われない。ブラック企業もどんどん増える」「悪い経営者は『お客様』を言い訳に社員に理不尽な犠牲を強いる」と続けた。しまむらの一件も、問題は逮捕されたクレーマー女性にとどまらず、クレーム処理を社員に押し付ける経営、果ては不祥事を起こした企業に謝罪を求めるマスコミにまで及んだ。

   すぐにかみつくクレーマーは困った存在だ。だがその対処を現場任せにしている企業体質、「お客様がすべて」でとにかく社員に謝らせて済まそうとする経営者の考え方が許せないようだ。

   特に接客業では、客側が「お金を払っているんだから」と無理な要求をするケースがある。こうした「顧客絶対主義」的な発想は日本特有のようだ。日本総研のウェブサイトに掲載されている2007年6月25日付コラムでは、「お客様は神様」という言い回しが西洋では珍しいと指摘していた。

三波春夫さんの真意と違う意味に

   「お客様は神様」のフレーズは往年の歌手、故三波春夫さんのセリフとして知られている。三波さんの公式サイトには、クレーマーの格好のいいわけに使われるのは心外だという趣旨の説明があり、「本人の真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多く」と注意書きがあるほどだ。本来の意図は、かつて本人がインタビューで答えていた。

「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」

   これを曲解して、いつのころから「客の要望は絶対」にすり替わってしまった。いまだにこの誤解に縛られ、宋氏が批判したように客に土下座してでも言うことを聞くように仕向ける職場や上司が存在するのだろう。

   米国の「ザ・プラザ・ニューヨーク」をはじめ海外の一流ホテルに長く勤務した経験を持つ奥谷啓介さんは、以前ウェブサイトで、日本のホテルマンにアンケートを取ったところ73%が「仕事を辞めたい、辞めたいと考えたことがある」との結果が出てあ然としたと書いていた。理由のひとつに「ゲストとスタッフの間にある大きな上下関係」が挙げられたという。これに対して米国では「ホテルでも、ゲストとスタッフは対等な立場で向き合いフレンドリーな関係を保つ」と説明。そのうえで「知らず知らずの間に育ってしまった、お金を払うものが高い地位にたつのが当たり前という考え。私は訴えたい。この考えを正そうと」と主張した。

   クレーマーと化した客にも卑屈にならず、奥谷さんの言うような対等かつフレンドリーな関係が当然のものとして認められる風土が、日本でも今後育っていくだろうか。

客から理不尽な土下座を要求された。あなたならどうする?
「まあまあ、穏便に」と話し合いでの解決を促す
「とりあえず謝っとけ」と速攻で手をついて土下座
「私では決めかねますので」と上司を呼びに行く
やられたら倍返し。逆に客を土下座に追い込んでやる
その他
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