前回「日本はこれから貧しくなっていくので、貧乏慣れした方がいい」という趣旨の記事を書きました。ここでお伝えしたかったのは、「貧乏に慣れると選択肢が広がるよ」ということです。
決して「貧乏になれ」とか「貧乏自慢をしろ」ということではありません。例えば今、私がフィリピンのホテル住まいができているのは、この「貧乏慣れ」のスキルがあるからなのです。
グローバル時代に「不便慣れ」は欠かせない
例えばインドに貧乏旅行して、安宿に泊まったとしましょう。一泊500円くらいの貧乏宿では、当然のごとく日本の宿ではあり得ないレベルの「不便」が待っています。
たとえば昼間は暑いのですが、当然エアコンなどありません。夜は意外と寒く、ホットシャワーもありません。部屋にはトカゲや虫が山ほど遊びに来るし、ガンジス川が臭うし、夜中に爆竹が鳴りテロが起こったのかとビビるなど、様々な酷い目に遭うことになります(っていうか、私が遭いました)。
時は流れて数年後、私はなぜかフィリピンに住むことになりました。セブ島のホテルのスイートルームで、家賃は光熱費込みで6.6万円です。東京23区内のワンルームマンションより安い値段で、2ベッドルームのスイートルーム在住です。
しかしスイートルームとはいえ、しょせんはフィリピン。まず、シャワーのお湯の量が少ない。せっかくバスタブがあるのに、お湯を溜めるのに30分以上かかります。ホテルのレビューを見ると「お湯の量も充分♪」と書いてあったので、ポンプが弱く、最上階のこの部屋までキチンと届いていないのだと思われます。
高層階なのにゴキブリは出るし、エアコンの温度調整機能がまともに働いていないので、寒くなったり暑くなったりします。防音がイマイチなので、近所のクラブでパーティーが始まると騒音もうるさいです。
おそらく生まれた時から東京の(狭くて高いけど)綺麗なマンションにしか住んでなかった人にとっては、実にストレスの溜まる部屋だと思います。
しかし私の場合は、インドを始め中南米各国などの洗礼を浴びて「貧乏慣れ」しているため、これくらいの「不便」には平気で目をつぶることができます。むしろ、この程度しかトラブルがないことに安心しています。
「無不便」を追求すると過剰労働からの逃げ場がなくなる
このように、一度酷い生活をして慣れておくと、様々な事に目を潰れるようになります。
日本で「広さ:10点、綺麗さ:95点、不便のなさ: 98点、価格:60点=総合263点」みたいな所にだけ住んでいると、フィリピンの「広さ:90点、綺麗さ:75点、不便のなさ 40点、価格:80点=総合285点」みたいな所に住むことができないのです。
せっかく総合点はフィリピンの方が高いのに、「不便が無いこと」に固執するあまり、おいしい選択肢を選べないというのは勿体ないと思ってしまうのです。
もちろん、これは日本にいる場合にも言えます。中古物件はどうしても嫌で新築物件にしか住めないとか、徒歩3分以内にコンビニがないと生きていけないといった形で、自分の選択肢を狭めてしまい、割高の所に住んでいる人はたくさんいると思います。
これから全体的に貧しくなっていく確率が高い日本で、選択肢を狭めてしまうことは得策ではありません。給料が減っても今の生活レベルをキープするために、過剰労働したり娯楽費を削ったり、借金をしたりすることになってしまいます。それでも対応しきれずに生活が破綻してしまったら、実に不幸な人生です。
それより「貧乏慣れ」して、多少の不便には妥協しながら生活の範囲を広げることで、住む場所を選んだり、収入に合わせて生活レベルを変えたりできる方が幸せになれる確率は高いのではないでしょうか。ファーストクラスの航空券が買えるまで我慢して貯金を続けるより、エコノミークラスの格安航空券買って、数時間狭いシートのすし詰めを経て、旅に出ちゃった方が楽しいと思いませんか?
これを書いている最中も、トイレの水の流れが悪くてどうしたもんかと思いました。しかし、バケツの水で流せばOK!と華麗にスルーできてしまう自分に「貧乏慣れしていてよかった」と思うわけです。(森山たつを)