「無不便」を追求すると過剰労働からの逃げ場がなくなる
このように、一度酷い生活をして慣れておくと、様々な事に目を潰れるようになります。
日本で「広さ:10点、綺麗さ:95点、不便のなさ: 98点、価格:60点=総合263点」みたいな所にだけ住んでいると、フィリピンの「広さ:90点、綺麗さ:75点、不便のなさ 40点、価格:80点=総合285点」みたいな所に住むことができないのです。
せっかく総合点はフィリピンの方が高いのに、「不便が無いこと」に固執するあまり、おいしい選択肢を選べないというのは勿体ないと思ってしまうのです。
もちろん、これは日本にいる場合にも言えます。中古物件はどうしても嫌で新築物件にしか住めないとか、徒歩3分以内にコンビニがないと生きていけないといった形で、自分の選択肢を狭めてしまい、割高の所に住んでいる人はたくさんいると思います。
これから全体的に貧しくなっていく確率が高い日本で、選択肢を狭めてしまうことは得策ではありません。給料が減っても今の生活レベルをキープするために、過剰労働したり娯楽費を削ったり、借金をしたりすることになってしまいます。それでも対応しきれずに生活が破綻してしまったら、実に不幸な人生です。
それより「貧乏慣れ」して、多少の不便には妥協しながら生活の範囲を広げることで、住む場所を選んだり、収入に合わせて生活レベルを変えたりできる方が幸せになれる確率は高いのではないでしょうか。ファーストクラスの航空券が買えるまで我慢して貯金を続けるより、エコノミークラスの格安航空券買って、数時間狭いシートのすし詰めを経て、旅に出ちゃった方が楽しいと思いませんか?
これを書いている最中も、トイレの水の流れが悪くてどうしたもんかと思いました。しかし、バケツの水で流せばOK!と華麗にスルーできてしまう自分に「貧乏慣れしていてよかった」と思うわけです。(森山たつを)