政府の賃上げ要請に対して、日本労働組合総連合会(連合)会長の古賀伸明さんが「賃金の問題は労使交渉で行うことだ」と怒っている。
「それでも労組のトップか!」
と古賀会長に怒っている人も多いようだが、これは会長が正しい。というわけで、今回はあえて筆者が古賀会長を擁護してみよう。
労使の抱えるリスク
世の中に「ただ飯」はないのであって、当然ながら「みんなの賃金を上げる」ということにも重大なリスクがある。日本では、一度上げてしまった賃金は中々下げられないし、解雇も倒産寸前にならなければ認められないという事情がある。
たとえば2010年に経営破たんしたJALなんて、いまだに当時解雇した元従業員と高裁で解雇について係争中である。倒産してもなお解雇が認められない可能性もあるのだ。
こういう状況では、労使が将来の景気をどう見ているかが重要なポイントだ。
今後も景気が安定して拡大するなら、多少はリスクをとって賃上げしてもいいだろうと考えるが、今の景気は長くは続かないと判断すれば、逆に極力賃金を抑えておくことが合理的となる(でないといざ不況になった時に痛みを伴うリストラが必要になるし、最悪、倒産のリスクもある)。
少なくとも「これからバブルだ、高度成長期の再来だ」と言っている労使を、筆者は一社も知らない。むしろ、景気の先行きは決して明るいものではないから、今はなるべく賃金を抑制し、将来の雇用を死守しようという労使がほとんどのように見える。
え? それじゃデフレ脱却できないだって? だって終身雇用を守るためなんだから、仕方がない。
政治と有権者の抱えるリスク
では、賃金を上げさせるにはどうすればいいか。答えは実にシンプルで、将来不況になった際に、賃下げや解雇のしやすいルールを作ってあげればいい。
実は、「日本のサラリーマンにはかなり賃上げされる余地がある」というのが筆者の意見だ。ただ、将来的な不確定要素のために必要以上に賃金抑制されているにすぎない。
将来の不安が少なくなれば、安心して賃上げする企業が現れるだろう。処遇見直しがルール化されるだけで目に見える効果が生まれるはずだ。
ついでに言えば「65歳雇用の義務化」も廃止すればいい。多くの企業は今、65歳まで雇用する人件費をねん出するため、20~30代の昇給を一生懸命削っている最中だ。これも立派な賃金抑制要因である。もちろん、他にも少子高齢化対策や各種の規制緩和など、将来の景気を良くするために政治が打つべき手は多い。
だが、それらすべての政策には根強い反発が予想される。そうしたグループの反発の結果、「選挙で負けるかもしれない」というのが政治の抱えるリスクである。
そして、我々有権者自身にもリスクはある。経済活性化のために解雇ルールを作れば、将来自分が解雇されるかもしれない。60歳定年に戻してしまうと、年金支給開始年齢までの5年間は自分で職を探さないといけない。現在規制で守られている人たちは、パイが小さくなってしまうかもしれない。これが、有権者が甘受せねばならないリスクである。
リスクは誰が負担するの?
本来なら、政治はリーダーシップを発揮して、有権者に対し「いま、なすべき政策の数々」を説明し、理解を求めるべきだろう。でも、それはなかなか難しい。これまで一度として民主化のために汗を流した経験がなく、気が付いたら世界トップレベルの経済大国に暮らしていた我々日本人は、どちらかというとそうした議論は苦手である。
ネットでちょっと「増税反対」とググるだけで、「お上は何をやっているんだ」「自分以外の誰かから取れ」という先進国らしからぬ民度の方々が溢れんばかりにヒットする有様だ。
これは「政府は余計なことをせずに税金を安くしろ」という小さな政府派とも「もっともっと大きな政府にしよう、そのためにいっぱい税金も上げよう」という大きな政府とも異質な、なんというか封建時代の民衆そのままである。こういう人たちにロジックで説明しても、らちが明かない。それで仕方なく、政治はリスクを労使に丸投げしたのだろう。
「あー君たち、悪いけどここはひとつ、デフレ脱却のために頑張って賃上げしてね。将来大変なことになるかもだけど」
これが、労組トップが政府の賃上げ要請に喜ぶどころか怒っている理由だろう。政治はやること何にもやってないじゃないか、なぜ民間の労使だけがリスクを取らねばならないのか。古賀さんでなくてもバカにするなと怒るだろう。
もっとも、実際に大企業の労使は、そんな呼びかけ程度で賃上げするほど甘くはないので、今回の要請自体、政治から有権者に対しての「私たちはやることやってます」アピールに過ぎないのかもしれない。その場合、一番バカにされているのは有権者ということになるが、バカにされていると気付かない人たちにとっては「経営者が悪い、労組も根性なしだ」とハッスルできる相手ができて案外幸せなのかもしれない。(城繁幸)