地方の私立医大で教授を務める旧知のM氏に声をかけられ、久しぶりに会食しました。何事かと聞いてみれば「言われのないパワハラで糾弾されている」というのです。
パワハラを訴えている相手は、直属の部下にあたる教授。M氏が「あなたは好きな研究をしていいから、生徒の前には出ないように」と指示したところ、それがきっかけで体調を崩したと学長に直訴されたというのです。
「使命感を感じさせない者には教鞭をとらせない」
M氏は、「彼のように医師として教育者として、使命感を感じさせない者」には教鞭をとらせたくないと考えたようです。しかし学長は「穏便に物事を運んでくれ」と言うばかり。彼は「大学の学術的レベルアップを考え良かれと思ってしたことなのに、納得がいきません」と嘆いていました。
M氏は旧帝国大学の医学部で助教授を務めていましたが、年老いた両親の事もあり実家近くに職場を移したいと考えていたところ、ちょうど地元の私立医大に教授として声がかかり、3年ほど前に転籍してきました。
その実力を買われて着任1年余りで担当学科の主任教授に抜擢されましたが、彼は着任早々から、この学校の「異常性」に気がついていたそうです。
以前いた国立大学医学部よりも規模が小さいのに、教授が約3倍もいること。教授会とは名ばかりで、事務連絡と学長の話を聞く「上へ倣えの会」になっておりアカデミックな雰囲気がまったくないこと。
もっとも気になるのは、教授の名に甘んじて前向きな研究を何一つしようとせず、他人の研究レポートを部分引用してノルマをこなすだけの「ぶらさがり無気力教員」が半数近くもいることです。
M氏はこれまでも「やる気のない教員は辞めさせるべきだ」と学長に何度も訴えているそうですが、学長は、過去の事件で世間の評判を落とした時期に教授のイスを餌に頼み込んで教員誘致をした手前、「いまさらどうにもならない。とにかく彼らが辞めるまでガマンして欲しい」と言うばかり。
彼はそうは言われてもガマンがならず、「自分ひとりででも、たとえ相手に訴えられてでも、やる気のない教員は徹底して排除していく」と危険な暴走をしかねない状況にありました。
現状の評価制度は「お手盛り」「学長独断」
組織においてやる気のない「ぶら下がり」構成員が大量に生まれる理由は、目標達成意欲の欠如にあり、その根本原因は評価制度にあるのがほとんどです。
この観点からM氏に聞いてみると、年1回の評価制度はあるものの明確な評価基準がなく、おこなわれるのは御手盛りの目標設定とアバウトな実績報告、それを元にした学長独断の昇格人事のみ。降格はなく、不祥事でも起こさない限りクビになることもない。
一度教授になってしまえば、適当に過ごしていても定年まで安泰の生活が確保できるという、よく言えば平和な、悪く言えば能天気な評価環境であるのです。
高度成長期ならまだしも、たとえ医大であろうともこれではいつおかしくなっても不思議ではなく、M氏がわが身を犠牲にしてもやる気のない者を排除しようとしている危機感には十分うなずけるところでした。
その場で私が申し上げたのは3点。まずはM氏の思いがどうであろうとも、相手が上司の強い命令に精神的苦痛を感じて体調不調を訴えている限り、パワハラの訴えには勝てないので、個人的独断に基づく強引なやり方は改めるべきということです。
「明確な評価制度」は厳正に運用されるのか
それから、当該教授とのコミュニケーションを増やし、合意の上で明確な半期目標を定め、一定ラインに達しなければ教鞭は執らせないなどのやり方を学長の了解をとりながら実践すること。「使命感を感じさせない者」という主観的な判断だけでは危険です。
そのうえで、このやり方を全学に浸透させるべく、外の力を借りてでも明確な目標実績制度を導入して、厳正な運用によって不良教員の自主退官を促す方向感を打ち出すこと。
M氏はパワハラの件を納得するには時間を要する様子でしたが、「自分のやり方を改めるから、目標実績制度の導入を検討して欲しい」と学長に相談すると話していました。。
思惑通りに動いてくれるとは限りませんが、M氏が強引なやり方をせずに熱意をもってぶつかっていけば、たとえ時間はかかろうとも必ずいい方向に向かうのではないかと思います。私は引き続きM氏の側面アドバイスを続けて行こうと思っています。(大関暁夫)