何をするにも「自分が決める」ワンマン社長が倒れた! そのとき会社は…

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   先日、中小メーカーで常務を務めていたMさんが、退任のあいさつに来られました。Mさんは68歳。誠実な性格が買われて、かれこれ30年以上も総務経理畑を中心とした番頭さん役を務めてきました。

   5~6年前に会った際には「ウチの社長は『お前たちには何にひとつ任せられん』が口癖で、何から何まで自分のやり方で進めないと気が済まない」と嘆いていたので、明るい表情で円満退社と聞いて意外な印象を持ったものでした。

夫人は番頭さんに「何事もなかったように」と頼んだが

倒れるまで自分でやる。強いのは責任感なのか、猜疑心なのか
倒れるまで自分でやる。強いのは責任感なのか、猜疑心なのか

   当時のMさんの見立てによれば、この会社は「社長が部下を自分の手足としてしか使わないから、いつまで経っても会社が社長のサイズを越えられない」とのことでした。

   受注は社長の顔で行うのみで、業績は景気次第で大きく上下します。このままでは代替わりもできそうになく、Mさんは「そろそろ孫の顔でも眺めながらのんびり暮らしたいのに、死ぬまで滅私奉公では悲しい」と話していたのです。

   転機は、リーマンショック後に会社を襲った大事件でした。ある朝、社長が体調不良で入院したという連絡があり、はじめは風邪でもこじらせたのだろうと思っていたら、奥様から「絶対内緒」と病状を明かされたのだそうです。

   社長は脳溢血で倒れ、意識不明でした。緊急手術をしたものの、復職の見込みは立ちません。しかし、真相を公表しては社内外の動揺を招きます。社長夫人はMさんに、当面は社長の代わりを務め、何事もなかったかのように社業を続けてもらいたいと頼んだのだそうです。

   数日間悩みに悩んだ挙句、Mさんは社長夫人にこう提案して決断を促しました。

「いつまで続くかわからない社長不在の状況で、自分が社長の代わりが務まるはずがない。本当のことを打ち明けて、今後の会社運営を皆で考えさせて欲しい。さもなくば、自分では会社を潰すことになるだろうから、会社を辞めさせて欲しい」

病気にでもならないと手を引けない社長が多い現実

   Mさんに辞められてはどうにもならないと思った社長夫人は、Mさんの申し出を飲み、事実を皆に話して幹部社員で急遽対策を練ることにしました。

   これまでは技術から営業、時には総務までも社長が口を出していたので、何をするにも手探り状態。そこで部門ごとに責任者を決めて、社長がどんな活動をしていたのか整理しました。Mさんが驚いたのは、その仕事量。年商10億円以上の会社を一人でほぼ全部門管理しており、これでは心身共に限界が来るわけです。

   それ以上に驚いたのは、社員たちが「会社をつぶしてなるものか」との危機感から、死に物狂いで会社運営を考えたことでした。幸いにも、総務と経理はMさんが把握していましたし、大企業に勤務していた長男を会社に迎えて求心力を維持できました。

「体制が落ち着いてみると、社長に頼り切っていた自分たちへの反省も生まれ、社長の個人商店から会社組織への脱皮が感じられるようになったのです」

   1か月近く意識不明だった社長は奇跡的に意識が戻り、車椅子生活ながらも約2カ月で会話ができるまでに回復。自分の身の引き際は認識したようで、長男に社長の座を譲って名誉職としての会長に収まりました。

   会社は長男を中心とした分権管理と合議制の会社組織となり、新規取引も増え業績は順調。Mさんは新体制の会社運営が軌道に乗った段階で、めでたく引退となったのです。

   いくらワンマン社長の会社でも、社員に「社長には頼れないぞ」という危機感さえ持たせれば会社は脱皮できると確信させられる話でした。ただし本当の危機感を与えるためには、社長が思い切って手を引くことが肝心。病気にでもならないとそれができない経営者が多いのも、現実ではあるのですが。(大関暁夫)

大関暁夫(おおぜき・あけお)
スタジオ02代表。銀行支店長、上場ベンチャー企業役員などを歴任。企業コンサルティングと事業オーナー(複合ランドリービジネス、外食産業“青山カレー工房”“熊谷かれーぱん”)の二足の草鞋で多忙な日々を過ごす。近著に「できる人だけが知っている仕事のコツと法則51」(エレファントブックス)。連載執筆にあたり経営者から若手に至るまで、仕事の悩みを募集中。趣味は70年代洋楽と中央競馬。ブログ「熊谷の社長日記」はBLOGOSにも掲載中。
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