大自然の中の小さな人間関係
「地価安いのになんでみんなで張り付くように暮らしてるの?」とか「毎日顔合わせるほど仲いいのになぜ事件なんて発生するの? 八つ墓村みたいな祟りでもあるの?」なんて声もあるが、好き嫌い関係なしに、田舎ほど寄りそって暮らさざるを得ない事情がある。
あの手の田舎だと、だいたい、信金とか農協とか学校といったインフラが撤退し、最後には個人商店がぽつんと残る。一つのインフラがなくなるたびに、その周囲でそれに依存していた民家も消えていくから、残った民家は最後に残った商店の近くに固まることになる。今回の集落はそういう商店すらなくなった最終段階だったと思われる。
さて、そういう状況になると、住民同士でいろいろと助けあわねばならない。もう車の運転も出来ない老人もいるだろうし、少し重い荷物だって運べないだろうし、電球の交換も一人では難しいはず。そういう作業をまだ体の動く人が代わってあげるわけだ。
というわけで、土地は嫌というほど余っているのだが、こうした集落では都会では想像もつかない濃密な人間関係が存在している。
ところで、行方不明の男性は63歳。こうした山間部では“超若手”であり、力仕事は何でも任せとけ的な期待のホープだ。そういうポジションを都市部からUターンしてきた本人が望んでなかったとしても、濃密な人間関係の中にいやでも引きずり出されたものと思われる。ひょっとすると、そういう関係で何らかのトラブルがあったのかもしれない。
無縁社会のリスクが孤独死だとすれば、“有縁社会”のリスクはこうした人間関係のトラブルと言えるだろう。