米国に「エンロン」という企業があった。エネルギー取引の新機軸を打ち出し、1990年代後半には「米国で最も革新的な企業」と称賛された。
しかし、2001年に巨額の粉飾決算が表面化して破綻。多くの社員や株主の生活を破たんさせ、30人以上の逮捕者を出したこの企業の名前は、不正会計の代名詞として語り継がれている。
先月アメリカで開催された公認不正検査士協会(ACFE)の年次総会において、エンロン事件の「主役」の1人で破綻当時のCFOであったアンドリュー・ファストウ氏(51)が講演し、自身が犯した罪を振り返った。
本人は「誤解を招くが違法とは考えていなかった」
ファストウ氏は、大学卒業後銀行に勤務。その後、トップビジネススクールでMBAを取得し、1990年にエンロンに入社した。
財務部門で頭角を現し、1998年にはCFOに昇進。エンロンが急成長の裏で債務を急増させ財務状態が悪化していく中で、ファストウ氏はいわゆるペーパーカンパニーを使って法令の網を巧みにかいくぐりながら、債務を簿外に切り離す複雑なスキームを編み出した。
結局、簿外処理に行き詰ってエンロンが破たん。粉飾に加担した部下の逮捕によりすべてが明るみに出て、ファストウ氏自身も逮捕された。無数のペーパーカンパニーを乱立させ自らがその役員に就任して報酬を得ていたなど70以上の罪に問われたが、司法取引により捜査に協力したことで減刑を受けた。
6年の刑期を終えて2011年に出所。現在は、彼の弁護を担当した事務所で書類チェックの仕事をしつつビジネススクールなどで講演し、将来の経営者に自分が得た教訓を伝える日々を送っている。「自分が多くの人に与えたダメージを回復することはできないが、同じような問題の再発防止に少しでも貢献できれば」という思いで活動しているそうだ。
ファストウ氏はペーパーカンパニーを用いた債務隠しについて、「当時は、誤解を招く(misleading)行為ではあるが違法(illegal)だとは考えていなかった」と語っている。実際、1つ1つのスキームを実行するにあたって、取締役会、顧問弁護士、監査法人から了承は得ていたそうだ。
最近、「脱法」という言葉がニュースによく登場するが、彼が編み出したスキームは、正に脱法行為といえるのではないか。そして、それを繰り返す中で完全に違法な世界にどっぷり浸かってしまったのだ。
「私がしたような行為は現在も横行している」
彼は、次のように自分に言い聞かせながら、ペーパーカンパニーによる不正スキームを繰り返していたという。
「私は、自分の能力を駆使して、会社や株主を助けているんだ」
「これは一時的な処理で、次の決算期にはきっと丸く収まるさ」
「年商1,000億ドルの当社にとって、1,000万ドルの簿外取引くらい大したことじゃない」
「取締役会の承認も得たし、弁護士や会計士も問題ないと言っている。何が悪いんだ?」
どんなにルールを細かく作り込んでもグレーゾーンは残り、そこに解釈の余地が生じる。その余地にどう対応するかは、最後は意思決定者の倫理観次第ということになる。
ファストウ氏は「エンロンで私がしたような行為は現在も横行しており、その手口の悪質さには私自身恥ずかしくて赤面してしまうほどだ」とも語っている。
確かに、2008年のリーマンショックを招いた住宅ローン債権の証券化スキームや、悪徳コンサルタントに誘導されたオリンパスの長年にわたる損失隠し、銀行間取引の指標金利LIBORの不正操作などをみるにつけ、人類は、過去の教訓をなかなか活かせない弱い生き物だということを痛感する。
「これは違法ではない。でも果たしてフェアなのか?」。人生において、私たちは大なり小なりこのような岐路に直面する。その時に、私利私欲に負けてしまうか、「相手」に対する誠実さを貫けるのかが大きな分かれ道になる。特に、経営トップなどの要職にある人たちが直面する分かれ道は、多くの人の人生を左右する重大な局面となる。
もちろん、「違法でなければ迷わず前へ進む」という判断もあるだろう。しかし、その結果ステークホルダーが「だまされた」と思うような事態を招けば、不誠実な企業(人間)とのレッテルを貼られ、社会的な信頼を一気に失う。「今、ここで、何が正しい行いなのか」の価値判断が厳しく求められる時代だ。
ファストウ氏は、刑務所で身に着けていた身分証を今でも大事に持っている。毎朝それを見つめて、自分が多くの人に対して犯した罪を忘れないようにする「儀式」をしているそうだ。彼の贖罪の旅は一生続く。(甘粕潔)