「私がしたような行為は現在も横行している」
彼は、次のように自分に言い聞かせながら、ペーパーカンパニーによる不正スキームを繰り返していたという。
「私は、自分の能力を駆使して、会社や株主を助けているんだ」
「これは一時的な処理で、次の決算期にはきっと丸く収まるさ」
「年商1,000億ドルの当社にとって、1,000万ドルの簿外取引くらい大したことじゃない」
「取締役会の承認も得たし、弁護士や会計士も問題ないと言っている。何が悪いんだ?」
どんなにルールを細かく作り込んでもグレーゾーンは残り、そこに解釈の余地が生じる。その余地にどう対応するかは、最後は意思決定者の倫理観次第ということになる。
ファストウ氏は「エンロンで私がしたような行為は現在も横行しており、その手口の悪質さには私自身恥ずかしくて赤面してしまうほどだ」とも語っている。
確かに、2008年のリーマンショックを招いた住宅ローン債権の証券化スキームや、悪徳コンサルタントに誘導されたオリンパスの長年にわたる損失隠し、銀行間取引の指標金利LIBORの不正操作などをみるにつけ、人類は、過去の教訓をなかなか活かせない弱い生き物だということを痛感する。
「これは違法ではない。でも果たしてフェアなのか?」。人生において、私たちは大なり小なりこのような岐路に直面する。その時に、私利私欲に負けてしまうか、「相手」に対する誠実さを貫けるのかが大きな分かれ道になる。特に、経営トップなどの要職にある人たちが直面する分かれ道は、多くの人の人生を左右する重大な局面となる。
もちろん、「違法でなければ迷わず前へ進む」という判断もあるだろう。しかし、その結果ステークホルダーが「だまされた」と思うような事態を招けば、不誠実な企業(人間)とのレッテルを貼られ、社会的な信頼を一気に失う。「今、ここで、何が正しい行いなのか」の価値判断が厳しく求められる時代だ。
ファストウ氏は、刑務所で身に着けていた身分証を今でも大事に持っている。毎朝それを見つめて、自分が多くの人に対して犯した罪を忘れないようにする「儀式」をしているそうだ。彼の贖罪の旅は一生続く。(甘粕潔)