「アニメも昔はいじめられっ子でした」
ときどき教育系のセミナーで話すことがあるのですが、こういう表現をすると多くの人が一瞬「え?」という顔をします。
今では人気のアニメですが、「ヲタク」「アニメ」といえば2~30年前には、一般の人からちょっと嫌がられていたものです。
セル画がもてはやされた時代には、アニメの仕事をしていますと言うと、「ああ、色塗ってるアレね」と言われ、今でも50代以上の人にとってアニメは胡散臭いらしく、「へえ、アニメねぇ~」と言う人もときどきいます。
かつての「日陰もの」が、いつしか「日本が誇る文化」に
ヲタキングこと岡田斗司夫さんが「オタク文化論」を東大駒場で講義したころも、まだアニメに対しては偏見が強かったように記憶しています。それが変化したのは、ほんの最近のことなのです。
平成22年に経済産業省に「クール・ジャパン室」が設置されて以来、行政レベルでも文化推進事業として積極的に展開していますし、今では政治家の勉強会でアニメについての話をしてほしいといわれることもあります。
時代も変われば評価も変わるものなのだと、つくづく思います。現場サイドの感想としては、いいか悪いかの問題ではなく、そういうものなのだと感じています。
本題に戻ると、教育系セミナーで「いじめ」の問題がとりあげられるときに、私はアニメの扱われ方の変化を例としてよくお話します。「今、イジメられていても、時間が経つとモテることもある」と。
サブカルチャーやフリンジカルチャーというのは「辺縁系」という意味です。隅っこの存在です。今では「アニメ」は何かと話題になることが多いようですが、長年「メジャーではない存在」「日陰もの」でした。
マイナーな存在、つまり少数派というのは、ときにはイジメの対象になります。かつてはよくテレビでもからかわれていました。それが、今のような「日本が誇る文化のひとつ」になるとは、30年前は想像もしていませんでした。
秋田美人が学生時代はイジメられていた
別の教育系セミナーで、秋田出身のビジネスパーソンが「アニメ=いじめられっ子だった説」に深くうなずいていました。
「そういえば、同級生のちょっと大人っぽい女の子が、学校にいるあいだは“老けている”っていじめられていたんだよね。今はモデルになっているけど」
もちろん、時代によって評価が悪くなることもあります。根拠のない攻撃にさらされることもあるかも知れません。しかし、その「評価」「評判」も時代によって変わります。
学校や職場のイジメもケースバイケースですが、本当に陰湿で耐えられないイジメに対して、教育学の立場からは「つまらない苦労は買うな」と断言します。10代20代の柔軟で、無防備な思考回路は「無力感」をも素直に学習してしまうからです。
今現在イジメられていても、それが「未来永劫」続くと思わないほうがいい、世間の評価は変わっていくことがあるよと、特にアニメを観ている10代の人には言いたい。
私たちアニメスタッフは、少しでもアニメで笑顔になってくれるといいなあと思いながら作品を創っています。制作現場で過密スケジュールに追われて疲れてヘロヘロになっても、観ている人から、「元気になりました!」「楽しかったです」と言ってもらえると、実はかなりうれしいものです。
最後まで読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。今回で連載は最終回です。次はアニメ番組で会いましょう!(数井浩子)