あるQ&Aサイトに、こんな相談がありました。
「今日で3日目ですが、退職を考えています。元々入る前から絶対に一生この職業を続けていく気はありませんでした。(そのような気持ちで入社してしまって申し訳ありませんが)このような気持ちを抱いているせいか、仕事になんの魅力や希望も感じられず、将来への不安や絶望に精神的に押しつぶされそうで辞めてしまいたいです」
この相談者は公務員になりたいと言っていて、回答者からもいろいろなコメントがついているのですが、根本は自分がやりたいことを探している気がしました。
生涯にわたってひとつの仕事を続けていくイメージを持っていて、入社初期の段階で自分のやりたいことと現実が少しでも違うと、その時点でやる気を失ってしまったり、将来への不安や絶望にかられてしまう。こういう理由で会社を辞める若い人が後を絶ちません。
「夢と違うもの」を続けられない若者たち
これは自分探しの弊害です。私はこれを「やりたいこと探し病」と読んでいます。
かつての団塊の世代は、やりたいことなんてありませんでした。たまたま就職した会社に一生を預けて、そのなかで与えられた役割は何でもこなすように言われる。仕事は選べない代わりに、会社を愛して生涯を捧げれば一生面倒を見てもらえる。まさに就“社”です。日本の高度成長とあわせて、この仕組みは機能しました。
しかし、いわゆる就職氷河期以降に学生たちが言われたのは真逆のことで、就社ではなく仕事を選べということです。「あなたは何をやりたいのか?」「やりたい仕事を見つけよう!」と盛んに煽られた結果、学生は自分のやりたいこと探しに熱中することになります。
「自分が人と接する仕事が得意だから、ホテルで働きたい」
「海外が好きだったから、海外と関わるような仕事がしたい」
そんな壮大な夢を描きながら実際に会社に入ってみると、すこし様子が違う。自分の夢や理想と現実は直結していません。40歳、50歳の先輩たちが何の仕事をしているのかを見ると、将来どうなるかも分かってしまいます。そして「夢と違うもの」を続けていくことに不安を覚えたという理由で、あっさり辞めてしまいます。
自分の希望と違う会社に入社した人は、もっと悲惨です。そういう人の理想は、往々にして高すぎる傾向にあります。「広告代理店でコピーライターになりたい」といっても、そんな仕事は広告業界でも1000人に1人くらいしかなれないような珍しい職業です。
しかし、就職時点でそれになれないと、もう人生終了みたいになり、一生の「やりたいこと探し」が始まってしまいます。