「フジ三太郎」を読んで、「共感」と「郷愁」が交錯する人が多いのではないでしょうか。電話ひとつとっても、「長電話」のシーンでは、まだ電話にコードが付いています。公衆電話も健在です。そして変わったのは多分、そうした身の回りの生活用品だけではないはずです。
映画などで昔の名作を見直すと、複雑な思いにかられることがあります。たとえば小津安二郎監督の作品。登場人物の非常に細やかな気遣い、さりげない会話の中に漂う独特の情感。戦争で焦土となったにもかかわらず、なお人々の振る舞いに残る美徳――。
スクリーンには日本的な道徳観や倫理、美意識が静かに息づいています。「今は消えてしまった」、あれやこれやについて懐かしく切実な感慨がこみ上げてきます。
「失われた20年」で失われたものは?
昭和40年から平成3年にかけて、8000本以上の作品を送り続けた「フジ三太郎」も、小津作品と同じく、その時代の日本と日本人の姿を活写しています。少し異なるのは「共感」と「郷愁」の比率でしょうか。
小津作品では郷愁がふくらみ、「フジ三太郎」ではまだ共感が多いはずです。しかし「フジ三太郎」の中にもすでに「郷愁」の領域に入るエピソードや登場人物の振る舞いが少なくありません。
連載が終わって20年。最近の日本を振り返るとき、しばしば「失われた10年」とか「20年」といわれますが、失われたのは政治や経済の活力だけでないことに、「フジ三太郎」を見て気づく人もいるのではないでしょうか。
着想の豊かさや切り口の意外性。卓越した4コマの起承転結力。さらには目玉の点をちょっとずらすだけで三太郎の心の動きを表現し、つねに画面に奥行きを与える作画技術の巧みさ――。
そうしたサンペイさんの、クリエーターとしての異能ぶりに加えて、並外れた社会観察力や人間心理の洞察力、ベースとなる自らの戦中派としての道徳観や生活体験。そしてユーモア、ウイット、エスプリ。これらの集大成が「フジ三太郎」です。
皮肉の中にも、たいがい「愛」があります。「共働き」を語るとき、「電車の中に冷蔵庫があればいいのに」と女性の立場で考えます。「こどもの日」に、今は亡き老母が、仏壇からすうーっと出てきて、うたた寝する年老いた息子にふとんをかけます。こんな懐の深い目配りもサンペイさんならではでしょう。
昭和への感謝と哀切を込めた贈り物
昭和後期の日本人の姿を同時代史として見事に描ききった「フジ三太郎」。それはまさに激動の昭和に育てられ、昭和を生き抜いたミスター昭和人間・サトウサンペイさんの、昭和への感謝と哀切を込めた贈り物といえるでしょう。
平凡なサラリーマン三太郎をはじめ登場人物のほとんどは市井の名もない人々です。そこには、昭和という時代をそういう無数の普通の人々が作ってきたということへの、サンペイさんの敬意が表れているような気もします。
そう考えると、「フジ三太郎」は実は連載漫画という形をとった、昭和後期の「日本人の自画像」だったのかもしれません。
「フジ三太郎」は平成3年に連載が終了します。最終回は昭和の大ヒット曲「上を向いて歩こう」を踏まえた作品でした。サンペイさんは62歳、まだまだ続けられる年齢でしたが、筆をおきました。その理由は、やはり、「昭和が終わったから」ではなかったか、そんな推測もできそうです。
これからさらに20年、40年と歳月が積み重なるにつれ、「フジ三太郎」も次第に「小津作品」の領域へと移行していくことでしょう。そしてさらに歳月が積み重なると、昭和後期の日本人の姿を伝える貴重な「映像記録」として、後世の歴史家、社会史家の学術的な研究対象になるかもしれません。
昭和後期の貴重な映像記録
近年、歴史学では人々の生活文化も重視され、文献資料だけでなく映像資料も広く利用されるようになっているそうです。たとえば日本の中世史では、絵巻物についての研究が盛んです。その時代の人々の生々しい姿が描かれているからです。子細に眺めていると、登場人物の身なりや表情、しぐさも多彩で、まるでタイムスリップしたかのように当時の暮らしぶりや人々の感情が甦ってきます。
「学校の課題研究の題材にします。絵が分かりやすく、みんなに日本のことをもっと知ってもらえそうだから」
早くも海外にいる日本人高校生から、そんな声が届いています。東南アジアの大学で日本文化を教える先生からは、「お色気系もありますが、サラリーマンの悲哀系や、社会風刺系もありますので、授業で使えるかもしれません」というメールをいただきました。
「フジ三太郎」はデジタル化され、世界のだれもが簡単に作品を見ることができるようになりました。今後は国内外で昭和後期の日本研究の極めて興味深い資料にもなることでしょう。その主役は三太郎と仲間たち――。それはまた、同じ時代を生きた平凡なサラリーマンや同僚、その家族であり、私たちです。(了)