サラリーマンが読む「フジ三太郎」入門(5)
「共感」と「郷愁」が交錯 昭和後期の「日本人の自画像」描く

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   「フジ三太郎」を読んで、「共感」と「郷愁」が交錯する人が多いのではないでしょうか。電話ひとつとっても、「長電話」のシーンでは、まだ電話にコードが付いています。公衆電話も健在です。そして変わったのは多分、そうした身の回りの生活用品だけではないはずです。

   映画などで昔の名作を見直すと、複雑な思いにかられることがあります。たとえば小津安二郎監督の作品。登場人物の非常に細やかな気遣い、さりげない会話の中に漂う独特の情感。戦争で焦土となったにもかかわらず、なお人々の振る舞いに残る美徳――。

   スクリーンには日本的な道徳観や倫理、美意識が静かに息づいています。「今は消えてしまった」、あれやこれやについて懐かしく切実な感慨がこみ上げてきます。

「失われた20年」で失われたものは?

平成3年9月30日(最終回)
平成3年9月30日(最終回)

   昭和40年から平成3年にかけて、8000本以上の作品を送り続けた「フジ三太郎」も、小津作品と同じく、その時代の日本と日本人の姿を活写しています。少し異なるのは「共感」と「郷愁」の比率でしょうか。

   小津作品では郷愁がふくらみ、「フジ三太郎」ではまだ共感が多いはずです。しかし「フジ三太郎」の中にもすでに「郷愁」の領域に入るエピソードや登場人物の振る舞いが少なくありません。

   連載が終わって20年。最近の日本を振り返るとき、しばしば「失われた10年」とか「20年」といわれますが、失われたのは政治や経済の活力だけでないことに、「フジ三太郎」を見て気づく人もいるのではないでしょうか。

   着想の豊かさや切り口の意外性。卓越した4コマの起承転結力。さらには目玉の点をちょっとずらすだけで三太郎の心の動きを表現し、つねに画面に奥行きを与える作画技術の巧みさ――。

   そうしたサンペイさんの、クリエーターとしての異能ぶりに加えて、並外れた社会観察力や人間心理の洞察力、ベースとなる自らの戦中派としての道徳観や生活体験。そしてユーモア、ウイット、エスプリ。これらの集大成が「フジ三太郎」です。

   皮肉の中にも、たいがい「愛」があります。「共働き」を語るとき、「電車の中に冷蔵庫があればいいのに」と女性の立場で考えます。「こどもの日」に、今は亡き老母が、仏壇からすうーっと出てきて、うたた寝する年老いた息子にふとんをかけます。こんな懐の深い目配りもサンペイさんならではでしょう。

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