「これは特殊な取引だから」「以前からそうしているから」「ベテランに任せてあるから」――。そんな理由で、例外的な処理が横行している業務はないだろうか。
不正が起きると「本来やるべきダブルチェックがおろそかになっていた」などと指摘されることが多いが、原則が守られていない業務は不正の温床になりやすい。皆さんの会社でも、そんな「危険地帯」が放置されているかもしれない。
きっかけは「上司の急な入院」だった
今月、水産物流の総合サービスを展開する上場企業が、水産食品加工卸の連結子会社S社の「不適切な会計処理」の調査結果を公表した。冷凍マグロ取引を担当していた社員Aが、仕入や在庫、売上の記録をごまかしていたという。
Aが道を踏みはずすきっかけとなったのは、上司の急な入院だった。2005年から冷凍マグロ取引を担当していたAは、2008年4月から営業課長Bの下で働くことになった。当時は、メーカーから仕入れたものをそのまま売り継ぐという単純な取引で、在庫もほとんど発生しなかった。
しかし、2010年6月にBが入院し、Aが取引を一人で処理することに。「売り継ぎ」だけでは利益が上がらないと考えたAは、冷凍マグロについての知識を生かして、原料(冷凍マグロ原体)を仕入れて独自に加工・販売する取引を始める。
品質の見極めや冷解凍のタイミングが難しく、リスクは高かったが、市況にも恵まれて滑り出しは好調。Aは各営業所の担当者から「冷凍マグロの専門家」として一目置かれるようになり、取引量もふくらんでいった。
社内ルールでは、仕入・売上の帳簿処理や四半期ごとの在庫確認は営業事務部門が行うことになっていたが、取引内容が特殊かつ専門的であったため、すべてAが一人で行っていた。こうして「専門能力のある人に複雑な取引を任せきりにする」という典型的な不正リスクが高まっていく。
そんな中、2012年春からマグロの漁獲量が急減。良質な冷凍マグロを仕入れにくくなり、Aは苦境に立たされることになる。ただでさえ朝から晩まで伝票処理や入出庫作業に追われるAに、品質に関するクレームや返品対応の負担が加わった。取引記録は徐々にいい加減になり、ついにあるとき返品されたマグロを損失処理せずに、新たな仕入れとごまかしてしまった。
「ちょっとだけなら」が人生を狂わせる
昨年の10月、仕入先からS社の管理部門に「冷凍マグロの代金が入金されていない」との連絡が入ったことで、不正が発覚。調査の結果、約5600万円の決算修正(損失処理)が必要となった。架空循環取引のような巧妙かつ悪質な不正はなく、Aが私腹を肥やしたという事実もないようである。しかし、上場企業にとっては株式市場の信頼を失う一大事だ。
Aが数字をごまかした動機は、自分一人で担当していた冷凍マグロ取引で生じた損失を隠すためであった。背景には「会社に対する業績貢献の強いプレッシャー」があったようだ。親会社も「数値目標のみを追及したことが原因の一つ」として、組織風土の改善を行っていくとしている。
「一度真実から目を背け、そしてもう一度、さらにもう一度真実から目を背ければ、それでおしまいだ。いつの間にか底辺に行き着いている自分に気づく」
これは米国の作家ジェーン・ハミルトンの言葉だ。Aもまさに同じような心境で、ずるずると堕ちていってしまったのではないか。「今回だけ」「そのうちになんとかなる」と自分に言い聞かせながら。
実はこの件が発覚する1年以上前、Aが管理する在庫の帳簿上の数字と実際の残高が合わないことに営業事務担当者が気づき、後任の上司に改善を申し入れている。しかし上司は「加工するので形や重さが変わるが、トータルでは合っている」というAの説明を鵜呑みにし、不正発見の機会を逃してしまった。
不正が見つかった時、Aは正直ホッとしたのではないだろうか。もちろん悪いのはAだが、リスクの高い加工取引を許し、しかも一人に任せきりにした会社の責任も重い。「ちょっとだけなら」が人生を狂わせる。厳しいルールは自分の身を守るためにあるということを改めて思い知らせてくれる事件だ。(甘粕潔)