「俺と考えが違うなら、なぜ面と向かってハッキリ言わない?」
会長室に入ると、会長は開口一番「おう、社長の使いか」と言いました。
「いえ、御社をお手伝いする身として、今後の経営に対する会長のお考えをしっかりと把握しておかないといけないと思いまして」
「そんなことはどうでもいいんだよ。社長に伝えてくれ。俺と考えが違うなら、なぜ面と向かってハッキリ言わない? そういうところが経営者として物足りないんだ。責任感がないから言えないんだろう。そんな二代目じゃ、会社はつぶれるぞと」
創業者の後を受けるのは楽なようで、並大抵のことじゃ務まらない。何事に対しても自分が新たな創業者だといえる気概を持ってやれなければ、社員たちは二代目についていこうとは思わないだろう。そういう言い分なのです。
すでにあるものを引き継ぐ大変さを、会長がどの程度理解していたかどうかは分かりませんが、二代目に「自分は仕方なく跡を継いだ」という甘えがあっては、社員に示しがつかないという危機感があったのではないでしょうか。昭和ひとケタ生まれの不器用なやり方ですが、社長の自立を促したくて敢えてやっていた「院政」だったようです。
そのことを伝えたところ、D社長は「回りくどい…」と苦笑しました。そして自分が考える経営方針をあらためてまとめ、会長のところへ説明に行ったようです。そのときは親子ではなく、経営者同士の真剣な話し合いが行われたことでしょう。
会長も吹っ切れたのか、翌年の株主総会で退任して相談役に。月に1、2度会社に顔を出す程度になり、会社は二代目の発想で販路を拡大するなど新たな成長軌道に入っています。この一件以来、二代目から院政創業者の相談を受けるたび、「自分の考えを経営者の立場で伝えること」の重要さを説明しています。(大関暁夫)