火中の栗を拾うことは「玉砕」や「自己犠牲」とは違う

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   ここ何回か、会社の中で「火中の栗を拾う」ことのメリットとリスクについて書いてきましたが、いくつか批判もいただきました。

   それは私が「(拾った後に宝石に化けないような)黒こげの栗は拾うな」「火傷しないような拾い方をしろ」と指摘したことに対する反論です。例えば、このような意見です。

「自分のことなんか考えてたら、火中の栗なんて拾えない」
「火中の栗を拾うときは、細かいリスクなど目に入らないものだ」

だまされて他人の手先に終わってはいけない

「やればできる」と部下にハッパをかけるポジティブ社長は多いが
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   ここで「火中の栗」のことわざの元になった、ラ・フォンテーヌの寓話にさかのぼってみましょう。あるとき、ずるいサルにおだてられたネコが、囲炉裏の中で焼けている栗を拾いました。しかし栗はサルが食べてしまい、ネコはやけどをしただけでした――。

   つまり「火中の栗」とは、元々は「だまされて他人の手先として危険な仕事に使われる」という意味なのです。それが日本語に置き換えられたとき、なぜか「公益のためにあえて犠牲になる」という美しい意味になってしまったのでした。

   「玉砕」や「自己犠牲」が好きな日本人らしい受容の仕方ですが、これは一方で、リスクをきちんと確認することを怠ったり、細かいことを面倒がって勢いで押し切ってしまう悪い癖だということもできるのではないでしょうか。

   確かに寓話のように、囲炉裏の栗を拾わざるを得ない状況に追い込まれることがあります。現状を打破するには、誰もが背を向ける仕事に着手するしか選択肢が残されていない場面に置かれることもあるでしょう。

   そのような周囲から損と思われる役回りになっても、決してヤケになってはいけません。火傷しない拾い方や栗の選び方に注意を払わなければ、会社や上司の手先としていいように使われるだけ。

   火傷せずにおいしい栗を取り出せれば、会社全体が幸せになり、自分の将来をよい方向に変えます。計算づくでそういうやり方を目指すことは、私は決して悪いことではないと思います。

高城幸司(たかぎ・こうじ)
1964年生まれ。リクルートに入社し、通信・ネット関連の営業で6年間トップセールス賞を受賞。その後、日本初の独立起業専門誌「アントレ」を創刊、編集長を務める。2005年に「マネジメント強化を支援する企業」セレブレインの代表取締役社長に就任。近著に『ダメ部下を再生させる上司の技術』(マガジンハウス)、『稼げる人、稼げない人』(PHP新書)。
「高城幸司の社長ブログ」
株式会社セレブレイン
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