体罰の一掃で生まれる「大切な別の何か」
でも仮にそうだとして、誰が「体罰式はここまで、これから先は自主性を重んじるからな」という線をどこに引くのか。柔道の日本代表クラスでも普通に体罰が行われていた現実を見るに、そうやって育った人間たちに線を引くことはできず、結果的に体罰型の蔓延を許してしまうだけではないのか。
そして、これは筆者の杞憂かもしれないが、柔道のような伝統ある競技においても、やはりビジネス同様、10点近い自立型人材が求められ始めているのではないか。ロンドン五輪における男子の金メダルゼロという結果に、筆者はどうしても体育会カルチャーの限界を感じてしまう。
日本から体罰的なものを一掃してしまえば、たぶん中学高校レベルのスポーツは間違いなく弱くなるだろう。なんだかんだ言って、10代のうちは楽しんでやっている人間より、竹刀でぶっ叩かれている人間の方が伸びるからだ。
ただ、それによって、社会にもっと大切な別の何かが生まれるように予感しているのは、筆者だけだろうか。(城繁幸)