日本生産性本部が2012年春に就職した新入社員に尋ねたところ、デートの先約があったのにもかかわらず残業を命じられた場合、「デートをやめて仕事をする」と答えた人が過去最大となったという。その数、男性で82.4%、女性で89.8%。
確かに残業は原則として断れないというが、そこまで会社の言いなりになる必要があるものだろうか。ある会社では、急な残業命令のために就業後のスクール通いが思うようにならず、経済的な損失を被ったので会社に肩代わりを求める社員が出たという。
「累計で10万円以上は損をしている」
――専門商社の人事担当です。昨日、品質サポート部の課長が相談に来ました。部下のA君から、「通っているスクール代を肩代わりして欲しい」と言われたというのです。
品質サポート部は急な対応を迫られることが多く、予定外の残業が急に発生することがしばしば。そのたびに課長が部下たちに頭を下げているのですが、先日A君に残業を依頼したところ、ものすごい剣幕で拒否されたそうです。
「もう、いいかげんにしてください。急な残業のせいで、僕がどれだけ損をしたと思っているんですか? 会社に穴埋めを要求しますよ」
彼が火曜日と金曜日の週2回、英会話スクールに通っているのは課長も知っていたそうです。しかしA君が、急な残業のせいで授業に出席できていない日があることまでは把握していませんでした。
他の曜日に振り替えても、また急な残業で行くことができず、お金を払いながら授業を受けられない日が続き、A君によると「累計で10万円以上は損をしている」とか。
「今後は、火曜と金曜は残業を入れないか、もし入れるときには授業料を会社に肩代わりしてもらいますからね」
課長にしてみれば、A君は部の有力スタッフ。「過去の分も含めて会社が肩代わりしてくれないかね」と言っています。人事としては、やりすぎのような気がしますが、こういう損失補てんはすべきでしょうか――
社会保険労務士・野崎大輔の視点
会社は授業料の肩代わりをする必要はない
会社が社員に残業命令を下せるのは、労働者代表などと労使協定(36協定)を締結し、かつ就業規則に「残業させることがある」旨を明記している場合に限られます。逆にいえば、このような手続きを適切に行っている場合には、社員は原則として残業を拒否することができません。ただし、36協定で定めた延長限度時間を超えて残業させることはできません(特別条項に「大規模なクレームに対応する場合は適用除外」などと定めた場合を除く)。
サポート部にいる限り、急な残業に対応してもらわざるを得ないので、A君は就業後の定期的なスクール通いは難しいということになるでしょう。残業命令を断った場合には、解雇の対象にもなりえます。これを避けるには、部署を異動してもらうしかありませんが、会社としてそれが難しければ、A君にその旨を説明して辞めてもらわざるを得ないでしょう。会社はA君が英会話スクールに行けなかったことによる損失の責任を負わないので、授業料の肩代わりをする必要はありません。
臨床心理士・尾崎健一の視点
残業命令は「仕事と生活の調和」に配慮すべき
原則としては野崎さんが指摘するとおりですが、一方で労働者に「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)」を確保させることは事業者の責務でもあります。いくら労使協定が結ばれているとしても、予定外の残業命令を下すときには社員の意思を尊重し、私生活との調和に配慮することが求められます。眼精疲労を理由に残業命令を拒否した従業員を解雇した会社に、解雇無効が言い渡された判例もあります。
具体的な対応としては、残業を交替勤務制として「A君は火曜日と金曜日は原則として残業を入れない」とすることや、決められた時間以降に発生した残業に対して規定以上の手当を支払うことも考えられます。「そんなことでは会社が回らない」というのでは、人員を適切に配置できない会社にも問題があるでしょう。A君の心情をあからさまに無視したような対応を会社が継続的に行っている中で解雇すれば、不当解雇として訴えられるリスクもあると思われます。
(本コラムについて)
臨床心理士の尾崎健一と、社会保険労務士の野崎大輔が、企業の人事部門の方々からよく受ける相談内容について、専門的見地を踏まえて回答を検討します。なお、毎回の相談事例は、特定の相談そのままの内容ではありませんので、ご了承ください。