先日行われた衆院選において、自民党が記録的な圧勝をとげる一方、リベラルである民主党、社民党、共産党はいずれも議席を減らした。人によってはこの選挙結果をもって「リベラルは死んだ」とか「保守の完全勝利だ」と言うかもしれない。
だが、公務員や正社員労組といった既得権層を常に擁護し、失業率を引き上げる公約を掲げ続ける政党がリベラルだとは筆者にはとても信じられない。死んだのは55年体制における「和風リベラル」であって、そもそも日本に本来の意味のリベラルなど存在しなかったというのが筆者の意見だ。
問われるのは「改革における政府の関与の大小」
一方で、筆者は保守が勝利したとも思っていない。そもそも筆者は「大きな政府」をマニフェストに盛り込んでいる今の自民党を保守とは考えていない。それもやはり「和風保守」というべきもので、自助の精神や小さな政府とは真逆なものだ。
まあ外交的な面で保守だとしても、比例得票率を見ても明らかなように、今回の圧勝は自民の追い風と言うより民主の逆風が主な理由だろう。
そういう観点から言うと「日本は極右化してる」と嘆く老左翼も、喜々として改憲について語る安倍さんも、筆者は古い人だなあと思う。
では、これからの保守とリベラルはどうあるべきか。現状を改革するという点で、両者に違いはない。違いは、その改革における政府の関与の大小で測るべきだ。
たとえば、形骸化した終身雇用に代わる雇用のルール化が必要という点で、実は右も左も大差はない(いやダメだ終身雇用で行くべきだと言っているのは、サラリーマンから各種保険料の天引きができなくなると困る厚労省および社民・共産という名の泡沫政党だけだ)。
では終身雇用を辞めるとして、「2カ月分くらいの基本給を支払えば十分だ」とするのが保守で、「もっと出せ、加えて負の所得税のような低所得者支援制度が必要だ」というのが新たなリベラルの姿だろう。
「派遣社員は努力が足りない」「大企業は内部留保を取り崩せ」と言う議論はあまりにも低レベルだし、百年やっても未来はない。