米ビジネスウィーク誌のウェブ版に、こんな話が載っていた。大手投資銀行チャールズ・シュワブの同僚だったケンとドーン夫妻。ある日、妻のドーンが同社の最高投資責任者に昇進。夫が働く部署のトップになった。するとケンは上司から、こう言われたという。
「奥さんは仕事で飛躍をしようとしている。君がじゃまになってはいけない」
ケンはビザに転職したが、息子の誕生を機に仕事をやめて専業主夫になった。ドーンは順調に出世し、年商4億ドル超のドラッグストアのCEOにヘッドハントされた。ケンは「内助の功」で妻を支え続けている。ドーンは、若い女性にこうアドバイスする。
「トップになりたいのならば、夫にはあなたの成功をサポートしてくれる男性を選ぶことよ」
妻の方が高収入なら、夫が家庭に入ってもいいはず
「フォーチュン500」(米国を代表する大手企業500社のこと)のうち、女性がCEO(最高経営責任者)を務めるのは18社ある。18人の女性経営者のうち、7人は夫が主夫として家庭で支えているか、少なくとも一時支えていた。ゼロックス社長のバーンズ、ペプシコ社長のヌーイ、IBM社長のロメッティなどである。
主夫の増加は、妻が大企業の社長になったような特殊な場合に限らない。米国で男性が5歳以下の子供の面倒を日常的に見ているのは全家庭の32%であるが、そのうち5人に1人は男性が主な養育者である。
経済合理性に基づく彼らの論理は明快だ。夫よりも妻の方が収入が高く、どちらかが家事に専念する必要があるならば、夫が家庭に入るのは当然――。この考えに有効な反論をするのは難しいだろう。
ひるがえって日本はどうであろうか。日本人女性のキャリア進出が遅れているわけでは決してない。多くの女性がいろんな分野で大いに活躍しているのは、ご存知のとおりだ。
しかし、日本の女性が置かれている立場は厳しい。有能な女性ほどキャリアを極めるために結婚や出産をあきらめる、結婚後も家事は自分がするしかない、転勤や長時間勤務はあきらめる、といった話を聞くことが多い。その結果、女性が企業で責任あるポジションにつくのが難しくなっている。しかし、それでよいのか?
「日本人男性の時代」が終わったことに気づくべき
今までは日本に限らず、世界のどこでも男性中心の社会だった。軍事、建設業、製造業といった分野が中心の社会では、男性が主導権を握るのも当然だろう。
日本経済が世界を席巻したのは、第一義的には日本人男性の能力の高さのおかげだと思う。まじめな努力家、完璧主義の職人肌、口下手だが協調性が高い、基礎的学力が備わっているなど。製造業にはぴったりな特性だと思う。
しかし、日本が今後世界で生き抜いていくのには、これだけではだめだ。世界最高峰の技術者を多数抱える日本の電機メーカーが不振に陥っているのは、技術以外の部分が弱いからというのは定説になっている。
販売や広報、ブランド戦略、デザインが勝負を分ける。「質が高く壊れにくいものを作っていれば黙っていても世界中から買いにくる」という時代は終わった。
日本人男性は、海外でも伝統や会社の論理に縛られ窮屈にしている例が多いが、日本人女性は違う。「なでしこジャパン」を例に出すまでもなく、彼女たちはフットワーク軽く、世界のどこにでも飛んでいき、体当たりするだけの度胸がある。言語能力も高いし、社交性もある。
ジャーナリズムの世界を見ても、日本の伝統的な大マスコミは圧倒的に男性優位だが、外資系マスコミの第一線で活躍する日本人には女性が多い。これは偶然ではないだろう。
「女性の時代」と言われて久しいが、いっそのこと企業のトップもマスコミの第一線も、女性に任せてしまってはどうだろう。男性的な論理が支配して行き詰った日本の新たな道を切り拓いてくれるかもしれない。(小田切尚登)