「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、その中も腐る」
これは、直木賞作家・池井戸潤氏の小説「ロスジェネの逆襲」における主人公の言葉だ。組織における不正の発生要因をうまく言い当てている。
「会社のために不正した」と言う人は自己保身
大手情報通信機器メーカーのグループ会社における不正会計について、外部調査委員会の報告書が先週開示された。確認可能な過去6年3か月で生じた純損失は、合わせて308億円。これを受けて親会社の株価は急落している。
報告書には、不正を主導した子会社のトップから、グループ親会社トップまでが「自分のため」の「内向き」の対応を行っていたことが垣間見られる。
欧州販売子会社A社のトップだったB氏は、1993年のA社立ち上げ以来、同社の実務を全て掌握し、独自の取引先や新規事業を開拓して業績を急伸させてきた。B氏は、社内はもちろんグループの欧州統括会社においてもカリスマ的地位にあり、多額の業績連動ボーナスを毎年度得ていたようである。
しかし、「華々しい成果」の実態は、不正による虚飾であった。報告書には、ディストリビューター(販売代理店)への過度の押し込み販売や、それによる不良債権増加を隠す架空売上の計上、架空売掛金のファクタリング(売掛債権の売却)による自転車操業、簿外処理による負債の隠ぺいなど、様々な手口が描き出されている。
ところがB氏は、スペインの商習慣や、会計監査人から長年指摘されていないことを理由に、これらの処理が不適切なものとは認めていない。そればかりか、ディストリビューターの資金繰りを支援し、販売機会を失わずに売上を拡大したことは「親会社の利益につながった」と正当化している。
組織ぐるみの不正に関与した人は「会社のためにやった」と言うことが多いが、それは自己保身の言い訳でしかない、という冷めた目で問題の核心をとらえることも必要だ。B氏の場合も、長年苦労して築いたカリスマ的地位を失いたくないという「身勝手な都合」が、健全な判断力を歪めたとみるべきだろう。
「世の中の常識と組織の常識を一致させること」
絶大な力を持ったトップが腐れば、その組織は確実に腐る。部下たちは、B氏の指示を受けて、銀行残高確認書類の改ざんや、架空売上の隠ぺい処理に加担させられた。グループ内に内部通報制度はあったが対象は国内のみで、海外の子会社等は各社の裁量に任されていた。A社の関係者は、
「指示の不自然さは認識してはいたものの、B氏からの報復を恐れるあまり、(内部通報による)情報提供には至らなかった」
と述べている。このような体制では致し方なかっただろう。
もちろん、B氏だけに責任をなすりつけることはできない。例えば、リーマンショック以降の欧州経済の停滞、製品の価格競争激化などの逆風下にもかかわらず、前期比XX%増という一律の業績目標を機械的に課した親会社が、不正の動機を誘発した側面はないか。
不正の可能性について報告を受けた親会社トップの反応も内向きだった。「過去に会計監査人から指摘を受けていない」「B氏がそのようなことをするとは信じられない」などの理由から、「より正確な事実把握に努める」よう指示しただけで対応を先送りし、監査役への報告も遅れている。
さらに、A社の監査法人の責任者が変更となり、従来指摘されていなかった点が問題視されると、売掛金の評価損を計上しないで済むにはどうするか、などに腐心した。
「ロスジェネの逆襲」の主人公は、自分の信念をこう語っている。
「簡単なことさ。正しいことを正しいといえること。世の中の常識と組織の常識を一致させること。ただ、それだけのことだ」
正しいことを正しいといい、おかしいことはおかしいという。ただ、それだけのことだが、本当に難しい。(甘粕潔)