ロンドン・オリンピックまで、あと1か月に迫った。実は2012年はパリが大本命だった。そのパリを最後のプレゼンテーションとプロモーションビデオ(PV)の秀逸さで打ち破って、ロンドンでの開催となった。ロンドン・オリンピック招致用のビデオは、今でもYouTubeなどで誰でも閲覧することができる。
ロンドンのPVでは、女性ジョガーがロンドンの街を駆け抜けていく。彼女が走る街角に、英国人スポーツ選手が次から次へと現れ、それが無言のメッセージとなる。女性ジョガーは、セバスチャン・コーという中距離走者である。デビッド・ベッカムは、カフェでクロスワード・パズルを楽しんでいる。
さらに英国人独特のユーモアや街の風景が織り込まれ、本当によくロンドンという街、英国というお国柄を表現している。一度でもこのPVをみてみたら、ロンドンがオリンピックを招致したいという気持ちがよく分かるはずである。
SFのようだった前回の東京のPV
そのとき大本命だったパリは、リュック・ベッソン監督(映画「グランブルー」や「レオン」などで有名)がビデオを撮った。残念ながら僕は観ていないのだが、芸術的つまりは抽象的なビデオが大惨敗に繋がったのかもしれない。
実は、まったく同じ構図が、2016年のオリンピック開催地を決める際にも起きている。最終選考に残ったのは、開催地に決まったリオデジャネイロ以外に、東京、シカゴ、マドリッドである。
リオのビデオはシンプルで分かりやすい。夕闇の迫る海を泳ぐ力強い男性がうつる。自転車、ボート、ボクシング、ビーチバレーと、アスリートたちの躍動する様子が続く。
やがて、リオの街に映像は切り替わる。地元の人の歌声が街のいたるところから、また路地の隅々から聴こえてくる。観る者の気持ちを自然とひきこみ、共感を与えるビデオに仕上がっている。こちらもYouTubeでいまだに閲覧可能だ。
一方、そのときの東京のPVをみる限り、残念ながらそうした共感を呼び起こすようなものにはなっていない。どうやら現時点では動画を閲覧することはできないようだが、以前に観たときには次のような印象を持った。
そのPVは、東京を訪れた外国人旅行者がIT化された案内、交通システム、チケットシステムによってオリンピックを観戦する仕立てになっているのだが、ITが突出しすぎていて、SFのようで実感が湧かない。まるでIT企業の作ったプロモーション・ビデオのようだった。これでは共感を呼ぶことはできない。