先日、橋下市長とMBS女性記者とのバトルが話題となった。大阪の公立校卒業式における国歌斉唱の際、実際に歌っているかどうか、口元チェックまでさせた件についてのやりとりだ。
筆者はこの手の話題にさして興味がないのだけれども、あまりにも面白くて何度も見返してしまった。単純に面白いというのもあるが、今回のやり取りには、メディアとそれに対する公人の息詰まる攻防が典型的にあらわれていたからだ。
一般論に流れ「本丸」に近づけなかった記者
まず、攻め手のMBS記者には「国歌斉唱の一律の強制は憲法19条に違反しているのではないか」という明確な本丸があった(これは後々はっきりする)。あとは、その疑問を市長にぶつけて、リアクションを引き出せば勝利だ。
「問題ない」と言い切らせれば、後でその矛盾(と彼らが考える点)を追撃するなり、番組で追及するなりすればいい。逆ギレさせればさせたで「橋下市長、国歌斉唱問題で逆ギレ」として美味しいネタの出来上がりだ。
というわけで激しくその一点に攻めよせるわけだが、橋下氏は実に巧妙に対応して本丸に近づかせない。
「命令を出したのは教育委員会であり、私の職務権限ではないから答えようがない」
これはその通りで、「起立と国歌斉唱」は、教育委員会から全教員に向けて出された職務命令だ。
本来なら、ここで記者はさらに「教育委員会を任命したのはあなたでしょう」とか「では条例についてお聞きします」とか、本丸に一気に切り込むべきだった。その是非はともかく、市長相手に勝つにはそれが唯一の攻め口だからだ。
だが、なぜかそれをせずに「一般論として一律の国歌斉唱はどう思うか」に流れてしまうのだ。もうこの時点で、橋下市長の勝利は確定したも同然。
これ以降も様々なやりとりはあったが、憲法との絡みはもちろん、校長が口元チェックまでしたのはどうかとか、そもそもなぜ卒業式で国歌を歌わねばならないのかとか、そういうメタな質問の一切は、市長の責務とは何ら関係ない「一般論」として処理されてしまうからだ。