「今までとは違うから大丈夫」が通用するのか
国債価格が下がるということは、金利が上がるということである。金利が上がると、今まで世界一の低利でおカネを借りながらも、低収益に甘んじていた企業の経営が先ゆかなくなる可能性が高くなる。日本にはこうした企業は実に多い。こうして、日本全体の景気が加速度的に悪くなることも考えられる。
すでに財政、金融関係者からは、国債の暴落の可能性についての指摘は多い。原発停止の影響は、もともと危惧されていた国債暴落をただ早めるだけなのかもしれない。またひとつ不安材料が加わった。
国債価格の暴落について、800年間にわたり実証研究した書籍に「国家は破綻する」(カーメン・M・ラインハート、ケネス・S・ロゴフ著、日経BP社)がある。その原題は「This Time is Different」である。直訳すれば「今度は違う」ということである。
つまり、財政状況が悪化しながらも、今度は今までとは違うから大丈夫ということである。しかし本書は、そうした論理の陳腐さを実証研究によって暴いている。シニカルな原題の方が、邦題よりもずっとシャレていると思う。
事実、身近で「This Time is Different」になんてなったことはない。北海道拓殖銀行が破綻していくときも、日本の大手銀行がつぶれるはずがないと、ぎりぎりになるまで思っていた業界関係者は多い。米国のサブプライム住宅ローンが破綻していくときも、高度に発達した金融工学が安全性を高めていると信じていた人も多い。
今のところ、国債は金利1%前後を安定して推移している。価格が暴落する兆候はまだ見られない。だからといって、本当に「This Time is Different」ということになるのだろうか。(大庫直樹)